開通までの経緯
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#天然の電波塔にあるように、NHKとMRTがテレビ送信所を設ける際に候補地のひとつとして鰐塚山も挙がっていたが、両者は「山頂までのアクセス道路敷設」に難色を示していた。これに対し、田野町は陸上自衛隊西部方面隊へ協力を申し入れることで解決を試みた。都城・熊本の部隊は「機動力不足」を理由に断ったものの、小郡駐屯地の第5施設団が協力することとなり、道路開通への目途が立った。 全長8,830メートル。このうち麓の2,395メートルが熊本営林局負担、残りの6,435メートルが地元負担(NHK・MRT・宮崎県・県内市町村)となった。地元負担のうち中腹(3,411メートル)を自衛隊、山頂(3,024メートル)を志多組がそれぞれ担当した。 自衛隊による工事は1959年5月8日 - 8月20日の期間で実施。残りの区間を志多組が整備し、同年11月25日に完工式が挙行された。
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開通までの経緯
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「キャンベラ・ライトレール」の記事における「開通までの経緯」の解説
オーストラリアのキャンベラは、大都市であるシドニーとメルボルンの中間に位置する。1908年に首都となることが決定し、1927年に連邦議会がメルボルンから移転して以降、オーストラリアの政治の中枢として機能する都市である。このキャンベラ市内に存在する公共交通機関は、首都として創設以降2010年代までバスを始めとした自動車のみであり、第二次世界大戦以降はモータリーゼーションによって郊外へのスプロール化が進展した結果、2018年時点での人口密度は1 km2あたり450人未満と他国の首都と比べ低い水準に留まっている。この状況を受け、キャンベラでは2030年代を目標に中心市街地の活性化を目的としたコンパクトシティ計画が進んでおり、その一環として自動車への依存を減らす目的も含めて導入されたのがライトレールである。 キャンベラのライトレール「キャピタル・メトロ(Capital Metro)」の建設計画は2012年に実施された選挙の中で労働党が掲げた公約の1つであり、2014年には議会で予算案が可決された。続いて後述する官民パートナーシップ(PPP)(英語版)事業を進める民間企業によるコンソーシアムの入札が行われ、2016年2月にキャンベラ・メトロ(Canberra Metro)が事業権を落札した。そしてキャンベラが属するオーストラリア首都特別地域政府との契約を経て、同年7月から第1段階(Light Rail Stage 1、LRS1)となる、中心部キャンベラ・セントラル地区(英語版)と郊外のガンガーリン地区(英語版)を結ぶ全長12 kmの区間の工事が開始された。 2017年10月までに路盤の工事が完了し、同月以降は線路の敷設が始まった一方、12月にはキャンベラメトロの参加企業の1つであるCAF製の電車の納入も開始された。翌2018年からは架線の敷設が実施されるのと同時に、電化が完成した区間では電車の試運転が開始された。そして同年までに線路の建設、翌2019年4月までに架線の設置が完了し、2019年4月20日から営業運転が始まった。 建設中のライトレール(2017年撮影) 線路の敷設が完了した路盤(2018年撮影) 電停や線路の建設が進む(2018年撮影)
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開通までの経緯
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「山下臨港線プロムナード」の記事における「開通までの経緯」の解説
昭和30年代、山下公園の東側に山下埠頭が造成されることから既に新港埠頭(当時)の横浜港駅まで敷かれていた国鉄高島線(通称)の線路を山下埠頭まで伸ばして貨物駅を設置し貨物輸送を行う計画が持ち上がった。しかし、線路が山下公園内の敷地内を通過することから景観を理由に地元で反対の声が起こったため、公園の道路側に景観への配慮を重視した構造の高架を建設することになり、1961年から工事が着手され1965年に完成した。 位置付けとしては国鉄東海道本線の貨物支線であったが、名称については「山下臨港線」の他にも「山下埠頭線」「臨港貨物線」「公共臨港線」「神奈川臨港線」などの様々な通称がつけられた(本項では以降「山下臨港線」と表記する)。 横浜港駅から先の線路の所有者は横浜市港湾局で、山下埠頭駅の業務運営は神奈川臨海鉄道が行っていた。
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開通までの経緯
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「メトロ・エクスプレス (モーリシャス)」の記事における「開通までの経緯」の解説
インド洋の島国であるモーリシャスのうち、首都のポートルイスが位置するモーリシャス島には、イギリス領時代の1854年に開通したモーリシャス政府鉄道(英語版)(The Mauritius Goverment Railways、MGRly)が存在した。全盛期には島内に56 kmの路線網が存在し、サトウキビの輸送を始め経済を支える大動脈として重宝されていたが、第二次世界大戦後はモータリーゼーションの進展とともに旅客・貨物共に輸送量は減少した。その結果1956年に旅客輸送が廃止され、1964年の貨物輸送廃止をもってモーリシャス島から鉄道路線は一時姿を消した。 その後、イギリスから独立後のモーリシャスにおける交通機関は自動車が主力となっていたが、自家用車の所有数が増加するのと同時に島内の道路網では混雑が激化し、都市間の迅速な移動も難しい状態となった。そこで、ポートルイスや周辺の地域を結ぶ、高速かつ定時制に長けた公共交通機関としてライトレールの導入が検討されるようになり、2017年にインド政府から贈呈された3億5,300万ドル分の助成金を元手とした各種プロジェクトの一環として、ライトレール「メトロ・エクスプレス」の計画が始動した。 計画に際してはインドやフランス、シンガポールを始めとした世界各国の企業が参加しており、そのうちフランスに本社を置くコンサルタント企業であるシストラ(英語版)がプロジェクト全体の設計を手掛け、インドのラーセン&トゥブロ(Larsen & Toubro)が建設や車両調達を担当した。また、計画実行に先立つ2016年に、モーリシャス政府はライトレールの運営を行う事実上の国営企業である「メトロ・エクスプレス」を設立した。その一方、建設に際しては職を失う可能性があるバスやタクシー関係の労働者や土地収用を受けた地域住民からの反対運動が勃発した他、世界遺産であるアープラヴァシ・ガート付近の路線についてはUNESCOからの要請による専門家による調査が実施され、計画に影響が生じた。 その後、第1段階(Phase One)となるローズヒル中央(Rose Hill Central) - ポートルイス・ビクトリア(Port Louis Victoria)間は2019年12月22日に開通した。当初は沿線へ向けてのプロモーションを目的に無料運転を実施し、運賃が加算される本格的な営業運転の開始は2020年1月10日からとなった。
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開通までの経緯
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「CBD・アンド・サウスイースト・ライトレール」の記事における「開通までの経緯」の解説
オーストラリアの大都市・シドニーでは、今後の持続可能な開発を進める一環として、道路の混雑解消や効率の良い輸送手段の確保を目的にライトレールの整備が行われている。その一環として、シドニーの中央業務地区、通称「CBD」や南東部に広がる郊外地域の間を結び、両地域の利便性を高める路線として計画が行われたのがCBD・アンド・サウスイースト・ライトレールである。1998年時点で既に計画は存在していたが、本格的にプロジェクトが始動したのは2014年、ニューサウスウェールズ政府からの承認を得て以降となり、同年10月に後述するライトレールの建設や運営に携わる民間のコンソーシアムとの間に契約が交わされた後、2015年10月から建設が始まった。 当初の予定では2018年までに工事の全工程が終了する事になっていたが、地下ケーブルの移設を始めとした工事の遅れから計画は延期を繰り返し、2018年にはコンソーシアムを構成する企業とニューサウスウェールズ州政府との間に建設費用を巡る訴訟が勃発するにまで至った。その後、2019年に政府とコンソーシアムとの間に請求の取り下げや追加予算・資本の投入を始めとした和解が交わされ、その中で建設中の路線の開通予定も明確に定められる事となった。そして、「L2号線」と名付けられたサーキュラー・キー(Circular Quay)とランドウィック(英語版)(Randwick)を結ぶ路線が2019年12月14日に、「L3号線」と呼ばれる系統が通るムーアパーク(英語版)とジュニア・キングスフォード( Juniors Kingsford)を結ぶ支線が翌2020年4月3日に開通し、CBD・アンド・サウスイースト・ライトレールの全線が完成した。 建設中の車庫(2017年撮影) 建設中のサーキュラー・キー電停(2018年撮影) 建設中のトンネル(2017年撮影)
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開通までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 18:49 UTC 版)
モロクノエ(ウクライナ語版)は、クリミア半島のイェウパトーリヤ近郊に存在する、人口2,500人程の村である。黒海(カラミタ湾(ウクライナ語版))に面したこの場所は、ソビエト連邦時代に世界最大級の電波望遠鏡を始めとした人工衛星の監視施設が作られた一方、夏季になると砂浜が海水浴場として賑わう観光地としての側面も有する他、河口の泥に含まれる様々な効能を活かした保養地にもなっている。 1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の影響を受け、当時のソ連国鉄(ロシア語版)南西鉄道局(ウクライナ語版)コロステン支部は、従業員の保養先としてこのモロクノエに存在する観光・保養用の大規模な宿泊施設を利用する事を決定した。しかし、この施設は冬季のカラミタ湾の氾濫による影響を避けるため、観光地となっている海水浴場から1.6 km程内陸部に存在していた。それまではバスが双方を結ぶ交通手段として用いられていたが、輸送力やガソリンの不足、更に観光地であるが故の環境問題など様々な観点から、新たに鉄道(路面電車)を建設する事が決定した。建設は1989年の春から始まり、同年の観光シーズンにあたる夏季から営業運転を開始した。
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