開通式の椿事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 20:47 UTC 版)
1912年(大正元年)10月25日の開通式の日に事件があった。工事を担当していた労働者のうちの数十人が賃金支払いに関して会社側に不手際があったとして午前6時発の開通列車の前に立ちふさがった。中には線路の前に横臥する者もあり列車が出発できなくなった。下市警察署・上市警察署の両署から動員された警官により首謀者3名を検束、午前10時にようやく4時間遅れで開通列車が出発した。翌日の『奈良朝報』には「吉野軽鉄の椿事 数十の工夫開通を妨害す」との見出しが見える。事件は労働者の要求を会社側が受け入れたことにより解決した。 スタートで思わぬトラブルがあったが営業はまずまず順調であった。下表は奈良県統計表に見る1918年(大正7年)から1920年(大正9年)の吉野駅の乗客数、収入金額であるが着実に伸びている。 吉野駅の乗客数・収入金額年乗降客人数運賃収入貨物収入1918年(大正7年)288,995人 23,127円 13,094円 1919年(大正8年)321,336人 26,876円 12,491円 1920年(大正9年)361,370人 40,592円 18,362円
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