開通後の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 04:38 UTC 版)
開通当時は折からの高度成長期と相まって、科学文明の発展のシンボルでもあり、相当な話題となった。時間のかかるスイッチバックの単線、12か所ものトンネルをくぐる度に煤煙に悩まされていた旧線と較べ、複線電化、スピードアップ、コンクリートの枕木、蛍光灯照明の明るいトンネルはインパクトが大きく、新線開通祝賀式典の際には報道用のヘリコプターまで出動した。 都市間連絡のスピードアップ、輸送量増加の陰で今庄駅は急行通過駅となり、新保駅、杉津駅、大桐駅の沿線はモータリゼーションの進展および過疎化に伴いバスも通勤時間に数本走るのみとなった。 長大トンネルながら頸城トンネルの筒石駅のようにトンネル内に駅が設置される構想は当初よりなかった。 トンネル完成後、北陸本線では交流電化や複線化が急激に進展した。北陸トンネルは2021年時点においても北陸以北の日本海沿岸・北海道地域と関西・中部地域を結ぶ大動脈となっている。 1972年11月6日、北陸トンネルを通過中であった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30人の犠牲者を出した。この事故をきっかけに長大トンネル区間および列車の空調、電源設備の安全性改善が進んだと言われている(蒸気機関車時代は、蒸気そのものを機関車から客車に直接送ることができた)。この事故の前の1969年12月にも北陸トンネルを通過中の寝台特急「日本海」の電源車から出火する事故があったが、このときは運転士の判断で列車をトンネルから脱出させて消火したため死者は出なかった(詳細は北陸トンネル火災事故も参照)。 2006年10月21日に長年交流電化であった北陸本線長浜駅 - 敦賀駅間と湖西線永原駅 - 近江塩津駅間が直流電化され、敦賀口付近にデッドセクションが設けられた。福井方面からやってきた列車は特急・普通を問わず、デッドセクションにおける交流→直流の電源切り替えに備えるため、トンネルを抜ける手前で減速し、運転士がデッドセクション通過中に切り替えを行う。 2020年3月27日、トンネル保守作業の際の通信回線としてauの中継基地局を設置した。その関係でauの携帯電話はトンネル内においても使用ができる。
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