鉄道開通以降から太平洋戦争前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:32 UTC 版)
「神路 (中川町)」の記事における「鉄道開通以降から太平洋戦争前まで」の解説
1940年度 佐久事業区神路植民地6戸における作付状況抜粋面積(a)戸数エンバク100.0 3 その他麦類40.0 3 トウモロコシ120.0 5 大豆145.0 4 その他豆類80.0 2 馬鈴薯180.0 3 ビート95.0 4 亜麻120.0 4 ハッカ400.0 6 特別教授所は通常の尋常小学校と異なり設立後6年以上の存続は認められていなかったが、前述のホロモイ無人化と前後してホロモイ特別教授所は尋常小学校に昇格することなく1923年(大正12年)2月18日に廃止となり、当地の児童は列車で安平志内尋常小学校(のちの佐久小学校)に通うこととなった。 このころは道の拓殖計画に基づき、中川村内各地の未開地と合わせて開放が進められた時代であり、1戸300円の移住補助金・50円の住宅補助が移住者に行われた。また、1930年(昭和5年)には「神路」が村内18番目の独立した行政区となり、1940年(昭和16年)1月21日付の字名改正で神路は現在の範囲となった。これと合わせて北大林内植民地区画も岡穂内・ホロムイが合併し、神路植民地と改名された。 このころの当地の作付状況(北大林内植民区画のみ)については別表の通りで、面積・作付戸数共にハッカの比重が高かった。
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