後の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/24 07:30 UTC 版)
「セント・キャサリン島」の記事における「後の利用」の解説
1895年、要塞の管理はイギリス海軍予備員に委譲され、彼らは "Youngman’s compression platform" へ訓練用にBLC 5インチ砲(英語版)を設置した。1907年には要塞自体が退役となり、ウィンザー・リチャーズ家に売り払われて民家となった。砲の盾は窓へ作り替えられ、内装は豪華に飾り立てられたが、第一次世界大戦では再び要塞として使用された。第二次世界大戦中の1940年、家は強制的に買い上げられ、内装品はハロッズでオークションにかけられた。戦時中は対空部隊が要塞の前に建てられたが、この部隊はイギリス海兵隊、イギリス王立砲兵隊(英語版)の第4防衛砲兵中隊ならびに軽対空砲兵部隊、ベルギー陸軍からの派遣隊、ホーム・ガード、イギリス空軍から派遣された水難救助隊で構成されていた。 戦後要塞は再び退役し、地元の事務弁護士に売り払われて、作家のノーマン・ルイス(英語版)(1947年 - 1948年に入居)などに賃貸しされた。島は1962年に再び売却され、1968年には動物園として再オープンしたが、1979年に移転し、島は空き地に戻った。1951年にはグレードII* のイギリス指定建造物となり、その選定理由には「見事に建てられ目立って位置する、19世紀後半の重要な海軍要塞」と記されている。
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