後の司教座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 19:29 UTC 版)
1410年、司教サンチョ・デ・ロハスはアンテケーラの戦いで戦った。この戦いでカスティーリャ摂政フェルナンド(後のアラゴン王フェルナンド1世)が、グラナダ王ムハンマド7世を退けた。そしてカスペの妥協の際にロハスは、フェルナンドがアラゴン王位を得られるよう支援した。聖ビセンテ・フェレールはパレンシアで説教を行い、カトリックの文献が述べるところでは数千のユダヤ人を改宗させたほど成功したという。また彼はサン・サルバドルの新設病院(後にサン・アントリン病院と合併)としてシナゴーグを使うことを許可した。
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