電車化改造後の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/04 14:02 UTC 版)
「東武デハ3形電車」の記事における「電車化改造後の変遷」の解説
電車化改造後は昭和2年 - 4年系とともに運用されたが、本系列は前述のようにロングシート仕様でトイレの設備もなかったことから、主に近距離の区間列車運用に充当された。なお、本系列は大正13年系とともに戦災による被災車両が1両も生じることなく終戦を迎えた。 終戦直後の混乱期に激増した輸送需要に対応するため、東武においては国鉄63系の割り当てを受けることを決定したが、同系列導入の見返りとして保有車両の地方私鉄への供出を運輸省より指示されたことに伴い、本系列からはデハ11 - 13の3両が供出対象となり、いずれも長野電鉄へ譲渡された。同3両は戦中から戦後にかけての酷使によって荒廃した状態のまま譲渡されたことから、長野電鉄側に到着した際は「側窓やつり革は皆無、シートは板張りと、これが電車かと思うばかりであった」という長野電鉄関係者が漏らした逸話が残るほどの酷い状態であったことが記録されている。 同社130形電車として1947年(昭和22年)に竣功した同3両は、主要機器の仕様を含めてほぼ東武在籍当時のまま運用されたことから、ウェスティングハウス・エレクトリック (WH) ・三菱電機系の単位スイッチ式手動加速制御が標準仕様である長野電鉄の在来車とは混用が不可能であり、主に支線格の河東線須坂以南(現・屋代線)における運用に充当された。もっとも、同3両は長野電鉄の在来車と比較して主電動機出力に余裕を有したことから「遅延回復が容易な車両」として現場から好評を得たという。主要機器のメーカーより「ディッカー」の社内愛称で呼ばれた同3両は、長野電鉄の他の旧型車各形式とは独立した扱いを受けながらも1977年(昭和52年)まで運用され、東武に残存した車両よりも長く運用される結果となった。 譲渡に伴う改番対照 旧番 改番後 デハ11 長野電鉄モハ133 デハ12 長野電鉄モハ132 デハ13 長野電鉄モハ131 前述供出対象とならなかった7両については、1951年(昭和26年)に施行された大改番によって、デハ3形はモハ2200形に、クハ2形はクハ230形にそれぞれ改称・改番された。さらに翌1952年(昭和27年)には、クハ550形(初代)の電動車化改造に関連して、同形式に主要機器を提供したモハ5300形に対して、モハ2200形を電装解除の上でその主要機器を供出する玉突き改造が実施されることとなり、モハ2200形は全車とも制御車(クハ)化されてクハ220形220 - 224と改称・改番された。なお、モハ2204については以前より電装解除が実施されて制御車代用として運用されていたことから、機器供出の対象には含まれていない。電装解除に際しては同時に浅草寄りの運転台を撤去して片運転台化が施工され、同時期にはクハ230形に対しても片運転台化改造が実施されている。 大改番ならびに電装解除に伴う改番対照 旧番 大改番 制御車化 デハ14 モハ2200 クハ220 デハ15 モハ2201 クハ221 デハ16 モハ2202 クハ222 デハ19 モハ2203 クハ223 デハ20 モハ2204 クハ224 クハ7 クハ230 ‾ クハ8 クハ231 ‾ その後、1959年(昭和34年)には客用扉部のステップ廃止ならびに客用扉のプレス扉への交換が実施されたのち、クハ220形は野田線に集約され、クハ230形は東上線に配属されて、それぞれ32系の制御車として運用された。しかし、1964年(昭和39年)より32系各形式の3000系への更新が開始されると、32系に属する制御車の中では経年の高かった本系列は優先的に更新対象とされた。クハ220形は1966年(昭和41年)に、クハ230形は1965年(昭和40年)にそれぞれ3000系への更新が完了し、いずれも形式消滅した。
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