キハ20形
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「国鉄キハ20系気動車」の記事における「キハ20形」の解説
本系列の基本形式。暖地向けの両運転台、1基エンジン形で、4位側の乗務員室にやや食い込むかたちで便所を備える。1957年から1965年に409両が製造された。計画時にはキハ49000形と称したが、登場が1957年の称号規程改正後となったため、この形式番号を称したことはない。 298・299のように北海道に新製配置されたものや、多客期に渡道したものもあり、日本全国で用いられた。戦前形の機械式気動車キハ04形・キハ05形・キハ06形、キハ07形の取替時期に丁度当たっていたこともあり、大量に製造された。0番台は初期形のバス窓車、200番台以降は改良形の2段窓となった。最終期に製造された500番台では室内灯が蛍光灯に、暖房装置も温水式となり、台車もDT22C・TR51Bに変更されている。 ローカル線向けの簡易郵便荷物車として0番台を改造した600番台が2両、200番台を改造した650番台が1両存在した。これらは客室の一部分が郵便荷物室兼用となっており、その部分はロングシートとなっていて、仕切り用のアコーディオンカーテンが取り付けられていた。
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キハ20形(譲渡車)
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「国鉄キハ20系気動車」の記事における「キハ20形(譲渡車)」の解説
鹿島臨海鉄道に4両、水島臨海鉄道に12両、島原鉄道に13両譲渡されている。鹿島臨海鉄道では2000形(2001 - 2004)、水島臨海鉄道ではキハ201 - 212、島原鉄道ではキハ2005 - 2017となった。2020年4月現在はひたちなか海浜鉄道のキハ205が在籍している。
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キハ20形
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1931年6月に自社工場で客車ロ12(汽車製造製。1926年4月製造)にガソリンエンジンを取り付け、気動車化したもので、キハ20の1両のみ在籍。ダブルルーフの屋根で前面は切妻。1937年に東武鉄道へ譲渡されキハ4となり、当時非電化であった小泉線で使用された。電化の進捗などによって1950年3月に廃車。廃車された後は、下今市駅で詰所として使用されていた。
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キハ20形 (201 - 212)
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「水島臨海鉄道」の記事における「キハ20形 (201 - 212)」の解説
キハ35形の老朽化が進んでいたため、1986年から1991年にかけて、日本国有鉄道(国鉄)・四国旅客鉄道(JR四国)・西日本旅客鉄道(JR西日本)より購入した車両である。乗降する際は手で開けて乗り降りをする。購入時は冷房化されていなかったが、1988年6月にトイレの撤去と共に冷房化(日本電装製、サブエンジン式)された。また、旧国鉄色だったものを水島色に塗り替えたが、後に再び国鉄色に戻されている(ただし明るめの色になった)。全列車ワンマン設備は設置されていない。老朽化のため2014年5月12日をもって定期運用を離脱した後、2017年3月19日の記念イベントをもって運行を終了した。2021年8月16日よりクラウドファンディングを行い、2022年3月30日に国鉄色再塗装など整備が完了し、記念式典が催された。今後は鉄道の日などイベント列車として倉敷貨物ターミナル駅構内を走行させる予定となっている。
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キハ20形
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「いすみ鉄道いすみ300型気動車」の記事における「キハ20形」の解説
本形式は、2014年度までに3両を導入する予定であったが、2015年(平成27年)6月22日に最後の1両が搬入された。この車両は、本形式同様クロスシート装備のトイレ付で、いすみ350型同様、前面・側窓の形状が国鉄キハ20系気動車を模したものとなっており、さらに塗装もクリーム4号と朱色4号の塗り分け(国鉄気動車一般色)である。形式はモデルとなった国鉄キハ20形に因んでキハ20形とされ、番号は仕様が同じいすみ300形の続番の303となるところであったが、かつて国鉄に在籍した同名車両に敬意を表して1000番台とし、「キハ20 1303」となっている。
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キハ20形
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「名鉄キハ10形気動車」の記事における「キハ20形」の解説
輸送力、性能向上のため1987年(昭和62年)8月に1両(21)、非電化線区拡大による増備で1990年(平成2年)5月に4両(22-25)が製造された。キハ10形に続きバス部品を多用していたが、車体長は15mに延長し、エンジンも直噴式のPE-6HT03A(250PS)に強化、台車も空気ばね付き・インダイレクトマウント方式の二軸ボギー台車FU-34BD・FU-34BTとした。 外観はキハ10形に準じているが側窓は固定式で、座席もロングシートだが増備車の22-25は車端部の一部が折り畳み式に変更された。 2001年(平成13年)9月の八百津線廃止で21・22の2両が同年12月26日に、2004年(平成16年)3月の三河線末端区間廃止に伴い23-25の3両が同年3月31日に運用を離脱し、ミャンマー国鉄に譲渡された。
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