渡道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:19 UTC 版)
1886年(明治19年)、野口は再起の道を開拓途上である北海道に求めて、妻と当時5歳の長男を連れて北海道の小樽に渡った。小樽では、行商や日雇いなどで生計を立てた。やがて小樽の呉服屋・丸ヨ石橋商店で醤油造りの人材を求めている話を聞き、同店に雇われることとなった。野口の立てた算段が、店主の石橋彦三郎に認められたことによる。石橋の出した条件は、家族3人の食い扶持は保障するものの、醤油完成までの3年間は無給という厳しいものだった。野口はそれに耐えて石橋に仕え、働き続けた。 2年目の秋に野口の醤油が完成したが、呉服商の売る醤油など、当初はまったく売れなかった。そこで野口は、当時の醤油の常識である大きな八升樽詰や量り売りでの小買いではなく、使い勝手の良い1升・2升の樽で売ることを発案した。八升樽は夏場には傷みやすく、小買いだと客は購入のたびに足を運ばなければならない。その点、1升・2升の樽なら回転が早いために傷む心配が少ない上、軽量で扱いやすい上に、配達も可能である。この客本位の商法が大当たりし、3年の月日が流れた頃、野口の醤油は大人気商品となった。店主の石橋はその働きを認め、後の醤油造りを野口に一任した上、多額の借金の肩代わりすら引き受けた。
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