作例と画家とは? わかりやすく解説

作例と画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:42 UTC 版)

アイヌ絵」の記事における「作例と画家」の解説

アイヌ絵特徴として、模写非常に多いのが挙げられる。これはアイヌ風俗への関心高かった証左であるが、同時に質が低いものが交じるのも避けられなかった。以下に取り上げ絵師は、オリジナル作品描いた人々である。宝暦頃に活躍した小玉貞良は、アイヌ絵嚆矢となった絵師である。寛政2年1790年)に『夷酋列像』を描いた蠣崎波響はよく知られている。他に異色アイヌ絵手掛けた雪好や、村上島之允(秦檍麿、朗郷)、村上貞助、千島春里、早坂文嶺平沢屏山らがいた。屏山実際にアイヌとともに生活をし、彼らの年中行事を「蝦夷風俗十二ケ月屏風」(6曲1双分蔵)に残している。また、谷元旦菅江真澄松浦武四郎北海道へ行ってアイヌ風俗など描いた明治以降では、富岡鉄斎平福穂庵・百穂、木戸竹石、澤田雪渓村瀬義徳北条玉洞、菅原翠州らが、画題1つとしてアイヌ取り上げた絵画描いている。 浮世絵では嘉永5年1852年)に浮世絵師歌川国芳描いた山海愛度図会 松前 おつとせい」や「山海愛度図会 蝦夷 」のコマ絵が最も古い作品考えられるその後明治時代入って新井芳宗実際に北海道へ渡って取材して描いた横大錦の揃物「芳宗随筆」に蝦夷様子取り上げられている。また、明治4年1871年)に2代目歌川国輝3代目歌川広重小林永濯によって描かれた「現如上人北海道巡教之図」(大判18揃)は、アイヌ絵代表作といえる。これは東本願寺現如北海道へ渡った様子描いた作品である。その他の作品としては歌川貞秀と重探斎(閲歴不明)による「北蝦夷図説」4冊の挿絵などがあげられる。この貞秀には渡道記録みられない

※この「作例と画家」の解説は、「アイヌ絵」の解説の一部です。
「作例と画家」を含む「アイヌ絵」の記事については、「アイヌ絵」の概要を参照ください。

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