風俗など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 19:20 UTC 版)
「ネイティブ・アメリカン」の記事における「風俗など」の解説
毛髪を霊力の源と考え、神聖なものとして非常に大事にする。また、ヨーロッパ人もかつて行ってきたことであるが、共通の髪型をすることで部族の帰属を示す手段としている。 昔の写真に見られるインディアンの毛髪は非常に美しく長い。これに習い、ハリウッド映画などでは登場するインディアンの老人も毛髪豊かな人物として描かれている。しかし、前述の平原部族の三つ編み方式を知らなかったために、ウォーボンネットという鷲の羽根を連ねて立てたヘアバンドを身に付けて描かれているものが非常に多い。同化政策の一環として後述のインディアン寄宿学校に送られた男女児童は、入学と同時に頭髪を短く刈られた。都市に住むシティ・インディアンの間では、白人文化に同化して短髪が多いものの、近年は長髪が復活してきている。アメリカインディアン運動(AIM)が創設されたとき、インディアンの若者達はまず、インディアンのアイディンティティーを取り戻すために髪の毛を伸ばし始めた。これはヒッピー文化にも影響を与えた。 インディアン固有の蛮習のように喧伝されてきた「頭皮剥ぎ」は、一部の部族の間で戦果と栄誉を示すものとして古くから重要なものではあったが、そもそもは18世紀前後に「メキシコやイギリス、アメリカ合衆国の政府機関」が、敵対勢力のインディアンやヨーロッパ人を殺させて、その「証拠として頭の皮を懸賞金をかけて」募集した歴史が起源となっている。 頭皮剥ぎ自体はインディアンから始まった固有の習慣ではなく、「古代ヨーロッパにも存在した」。19世紀の北東部や平原部の若い戦士の間では、「頭皮剥ぎ」の風習の浸透に伴い、敵部族を挑発するべく後頭部にのみ髪の毛を残して頭を剃りあげ、骨片や木片の留め具で鷲の羽根と房飾りをつけるスタイルが流行した。(※下段ウィンクテの図を参照) いわゆる「モヒカン刈り」のスタイルは、17世紀に北東部のアルゴンキン族の男達が、狩りの際に弓を射るのに髪が邪魔にならないように、頭の側面を剃っていたものである。 現代の防寒着アノラックやパーカーは北極圏のイヌイットやエスキモーの防寒着を元にしており、カヤックやカヌーは現在でもインディアンの使っていたもののデザインを忠実に受け継いでいる。ラクロスは北東部部族のスポーツが全世界に広まった例のひとつである。 ほとんどのインディアン社会は性的に自由だった。男女の役割は個人の判断に任され、またインドのヒジュラーのような聖職に従事する社会的半陰陽(両性具有者)は、ヒジュラーよりも強い地位を持っていた。白人によってこれらの存在は徹底的に弾圧され、社会的な役割としては姿を消しているが、メキシコやプエブロ諸族の一部のほか、スー族社会における「ウィンクテ」(右図)と呼ばれる存在は、女装こそしなくなったが、現在でも健在である。人類学者はインディアン社会に見られる社会的半陰陽を「ベルダーシュ」と呼んできたが、本来の語義が「男娼」を指すエクソニムであるため、差別的で不適切と考えられている。1990年にウィニペグで開催されたネイティブアメリカン=ファーストネーション部族間ゲイ・レズビアン会議で、それに代わる呼称としてオジブウェー語で社会的半陰陽を指す「ニーシュ・マニトゥーワク」(「二つの魂」の意)から翻訳借用した「トゥー・スピリット」を使用することが議決された。 ニューヨークのタマニー・ホール(元タマニー協会)のような民主党支持団体は、インディアンの言葉を政治に好んで用いた。 日本において『アメリカインディアンの教え』と呼ばれる詩は、インディアンではない教育者ドロシー・ロー・ノルト(英語版)が1954年に創作したものであり、詩もアメリカインディアンの伝承に基づくものではない。邦題はこの詩をノルトの創作と知らずに、自著でとりあげた『加藤諦三の創作』である。 ニューヨーク州立大学バッファロー校の歴史学者ドナルド・A・グリンドらは、アメリカ合衆国の民主制度はイロコイ連邦の民主制度がモデルとなっていると主張している。ちなみに、インディアンの支持政党は、伝統的に民主党である。 頭にワシの羽をつけ顔に化粧をするといったステレオタイプは、主に西部劇に登場する大平原のインディアンの儀式の際の姿を参考に、撮影所の美術係がデザインしたスタイルが元になっている。この映画に登場するステレオタイプは非インディアンの間で余りにももてはやされたがために、本来羽根冠の習俗のない部族にまで、このスタイルが採り入れられるようになっていった。初期のハリウッド映画では専ら白人開拓者の敵役とされたが、後年は逆に英雄視する作品が増えた。 インディアンはしばしば開拓者や建国初期のアメリカ人が新大陸で生き延びるのに多大な貢献をしてきた。米国とカナダの感謝祭は17世紀にワンパノアグ族とピルグリム・ファーザーズが秋の収穫を共に祝った出来事を記念している。ポカホンタス、スクアント、マサソイト酋長、サカガウィアらは米国の建国神話の不可欠な存在である。初期の開拓者の男性たちは未知の土地で生存するためにしばしばインディアンのサバイバルの知恵を身に付けた。彼らの中にはインディアンの女性を妻とした者が少なくなく、結果として一部のアメリカ人がインディアンの血を引いている。 数ある混血 の問題では、黒人との混血ブラック・インディアンが、根強い摩擦の種になっている。近年、チェロキー族やカイオワ族などはこれを部族員として認める裁定をしている。 インディアンに対する年金支給などを目当てに、非インディアンがインディアンの身分を偽造し、成りすます例も少数ある。イタリア移民だった著名なインディアン俳優アイアンアイズ・コディ(英語版)酋長など、単純に憧れからの成りすましも多い。 肥満率が高く、2001年の調査では男性の40.1%、女性の37.7%がBMI指数30以上の肥満であった。また、糖尿病の罹患率は世界中でもトップクラスである。 コロンブスが来る前におけるインディアンの金属の利用については、自然銅が良く使われていた事が分かっている(コロンビア以前のアメリカにおける冶金学(英語版)参照)。鉄については一般的ではなかったが、一部の部族は鉄を知っており、オゼットインディアンビレッジ遺跡(英語版)では、鉄のノミやナイフが発見されている。これらの鉄製品は、黒潮に乗ってやってきた難破船からもたらされた物と考えられている。これらの難破船は、アジア、特に日本の物が多かったとされる。難破船以外でも、隕石などから金属を得ていた可能性がある。トリンギットなど、アメリカの北西部に住んでいた民族の言葉には、鉄に関する単語が存在している。
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