風伝おろしと尾呂志集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 20:56 UTC 版)
上述の秋から冬にかけての風は風伝颪(風伝おろし、別名:風伝の朝霧)と呼ばれ、御浜町側の尾呂志(おろし)集落には寒風が吹き下ろす。この「尾呂志」の名は風伝おろしに由来するという説がある。尾呂志はかつての尾呂志村(1889年村制施行、1956年市木村と合併して市木尾呂志村となり閉村)であり、御浜町立尾呂志学園小学校・尾呂志学園中学校や御浜町役場尾呂志支所などが置かれている。 紀伊山中で湧き上がった雲が、山並みの僅かな切れ目となる風伝峠から熊野灘へと、大きな白い塊のまま斜面を滑り降りるように流れ出す現象は、風の通り道となっている風伝峠の名物である。海側の気温が高い時期、風伝峠を越えた雲は、すぐさま雲散霧消してしまうため、この現象を目の当たりにできるのは、秋から春にかけての寒い時期に限られる。この濃霧は、麓の七里御浜の漁師らが天候を予測するのに役立つという。風伝峠の北西にそびるツエノ峰(標高645 m)からは、風伝おろしの素となる紀伊の谷を埋めつくす雲海を一望にすることができる。
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