気動車改造電車の更新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 18:15 UTC 版)
「下津井電鉄線」の記事における「気動車改造電車の更新」の解説
モハ103登場後、陳腐化が進み、また明らかに見劣りするようになったことから、気動車改造電車の車体更新が自社下津井工場で開始された。 工事内容は制御車の車体延伸、各車の鮮魚台部分の客室化、気動車時代動力台車だった偏心台車の台車枠更新による均等化などで、モハ51・54・50→モハ104・105・110、クハ8・7→クハ25・26となった。 このうちモハ110以外は形状をモハ102-クハ22に準じたものとし、前面窓は一段上昇式で片運転台化の上貫通路を設置した固定編成車とされたが、モハ110に限っては電気機関車代用や早朝・深夜の単行運転を前提に両運転台のまま更新工事が実施され、車体の延伸部分については全面的に溶接が取り入れられた上、入れ替え作業の便を図って乗務員扉が前後左右4か所に設置され、d2D7D2dの窓配置となっている。また制御車の方は車体長が短い上各車の長さもまちまちだったため、台枠の継ぎ足しによる車体延長とそれに伴う台車ボルスタ位置の移設、台車枠の切り接ぎによる偏心台車の均等化など大規模な改造を要した。クハ8→クハ25とクハ7→クハ26でさえ台車・車体共に工事内容が異なっており、連結面側の窓寸法や客用扉と側面窓の配置も異なっていた(クハ25:3D8D3、クハ26:3D7D4)。こうした事もあってかクハ5・6の更新改造は見送られている。 なお、貫通路の設置はこの他固定編成で運用されていたモハ101・102、クハ21・22、サハ2・3に対しても実施されており、当時の輸送単位の急激な増大ぶりがしのばれる。 ちなみに、カハ50形→モハ50形6両の詳細な変遷は以下の通りである。 気動車時代電車化車体更新・改番廃車時期廃車後の処遇カハ50 モハ50 モハ110 1977年 長期保管後1988年に車体を鷲羽山駅待合室に転用 カハ51 モハ51 モハ104 1972年 解体 カハ52 モハ52 1972年 電装品をモハ1001に供出の上解体 カハ53 モハ53 モハ65 1972年 解体 カハ54 モハ54 モハ105 1972年 解体 カハ55 モハ55 1972年 解体 ^ a b 営業成績の低下による路線短縮の方針が決まったため、更新工事を施されないまま廃車された。 ^ 他のモハ50形と異なり未更新のまま改番されている。改番理由は不明。 路線短縮直前の頃は、モハ101-クハ21、モハ102-サハ3-クハ22、モハ103-クハ24、モハ104-サハ2-クハ25、モハ105-クハ26の各固定編成と、増結・単行運転などに使用されるモハ110、モハ52・53(→モハ65)・55、クハ23、クハ5・6・9、サハ1の計5編成21両が在籍していた。
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