養蚕から近郊農業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 23:15 UTC 版)
幕末期以降の絹織物産業や生糸輸出の発展とともに、輸出港である横浜港や八王子などの機業地に近いこの地域では養蚕が盛んとなり、台地上には桑畑が一面に広がる光景が展開した。しかし、1929年の世界恐慌に始まる生糸貿易の衰退とともにこの地域の養蚕も衰退し始め、代わって大消費地である東京を市場に野菜などを生産する近郊農業を主体とする農業に移行した。 消費地である東京や横浜に近いという立地条件は、明治中期以降に養豚や養鶏、酪農といった畜産業が成立する背景ともなった。中でも養豚は、昭和初期以降広く飼育されるようになった高座豚のブランドで知られる。しかし、相模原市など市街化の進んだ地域では、悪臭などの問題から養豚・養鶏・酪農のいずれも衰退傾向にある。
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