生糸貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:31 UTC 版)
16世紀後半ごろから、マカオのポルトガル人は、中国の広州から銀で生糸を購入し、その生糸を日本の長崎で銀と交換する貿易をしていた。マカオ市民たちは、1570年代には、共同出資でアルマサンと呼ばれる組織を設立し、生糸の売り上げを出資者に共同分配する仕組みを作り上げていた。活動資金獲得のためアルマサンに参加することで、イエズス会も貿易活動に関わることになった。 「神学校のみが寄付を受け入れることが出来る」というイエズス会の「会憲」があるため、各地にある神学校(コレジオ)はイエズス会の経済活動の中心となっていった。そのため、「1583年(天正11年)10月5日付、マカオ発総会長アクアヴィーバ宛てフランシスコ・カブラル書簡」によれば、「(マカオのコレジオで)中国の財貨や商品が、プロクラドール立ち会いの下に梱にされているのを目撃する」といった有り様であった。長崎でも同様に「岬の教会」内の建物(カーザ)に商品が運び込まれ、プロクラドールによって売り捌かれた。プロクラドールは小売商人の生糸を、ある価額で引き取って、その生糸を日本人の小売商人にさらに高い値段で分配した。 日本における生糸貿易での商品(生糸)の流れは、「マカオの小売商人」 ⇒ 「マカオの商人たちの代表=フェイトール」 ⇒ 「プロクラドール」 ⇒ 「日本側の商人」であった。
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