樋口ホテル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 22:23 UTC 版)
熱海ホテルの前身である「樋口ホテル」は、岸衛の岳父・樋口忠助が開業経営していた。樋口忠助は横浜の外国商館で生糸貿易に携わって財を成し、1883年に熱海の仲町(現・銀座町)の医王寺の跡地に樋口旅館を開いた。訪れた成島柳北は「気象万千楼」という扁額を与え、忠助はそれを旅館の号とした。気象万千は「様々に変化する風光は素晴らしい」という意味で、范仲淹の『岳陽樓記』に出てくる言葉である。 1892年には洋式客室を備えたホテル部「樋口ホテル」を併設開業した。同ホテルはモダンな洋館で、熱海で初めて洋食を出した。忠助は欧米各地のホテルで修業した岸を長女の婿に迎え、1916年に「樋口ホテル」を「熱海ホテル」と改称し、代表を岸に譲った。その後岸は新たに土地を求め、1922年に伊豆山中腹に洋式ホテルを建設し、「熱海ホテル」として開業した。仲町にあった元の熱海ホテルは取り壊されて他の旅館になった。 樋口旅館「気象万千楼」豆州熱海温泉樋口忠助客舎之圖 旅館樋口の西洋館として樋口ホテルが描かれている(右下)豆州熱海全圖
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