樋口一葉『ゆく雲』
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明治期の女流小説家である樋口一葉(1872年 - 1896年)は両親が甲斐国出身で、実家は山梨郡中萩原村重郎原(甲州市塩山)に所在する。一葉自身は東京で出生・養育されたため山梨県を訪れた確実な記録は見られないが、東京で樋口家と関わりのある数多くの甲州人と交流があり、一葉作品には随所に甲斐国の地名や実在の甲州人をモデルにした人物が登場する。 そうした一葉作品の中で酒折宮の地名が登場する作品に『ゆく雲』がある。『ゆく雲』は1895年(明治28年)に博文館の雑誌『太陽』に掲載された短編で、冒頭には酒折宮をはじめ山梨岡神社、猿橋、差出の磯など山梨の名所が登場する。 (冒頭)酒折の宮、山梨の岡、塩山、裂石、さし手の名も京都人の耳に聞きなれぬは、小仏さゝ子の難所を越して猿橋のながれに眩めき、鶴橋、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての場末ぞかし。甲府は流石に大厦高楼、躑躅が崎の城跡など見る処のありとは言へど、汽車の便りよき頃にならば知らず、こと更の馬車腕車に一昼夜をゆられて、いざ恵林寺の桜見にといふ人はあるまじ(略) — 『ゆく雲』
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