樋口一葉女史文学碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:35 UTC 版)
「慈雲寺 (甲州市)」の記事における「樋口一葉女史文学碑」の解説
慈雲寺のある中萩原地区は1954年(昭和29年)に当時の塩山町に編入されるまでは東山梨郡大藤村であった。 同村は明治初期の女流文学者、樋口一葉の両親、樋口氏則、古屋瀧子(多喜)が生まれ育った村であり、父の氏則は前述した同寺の私塾に学んだ。 同村出身の両親の二女として一葉は東京で生まれ、その短い生涯の間、一度も塩山を訪れることは無かったが、彼女の作品中には両親から聞かされたであろう故郷塩山の地名が随所に出てくる。 一葉が没して26年後の1922年(大正11年)、一葉を偲んで同寺の境内に一葉女史碑が建立された。題額は東宮御学所御用掛杉浦重剛、撰文は芸術院会員幸田成行(露伴)、書は宮中御歌所出仕岡山高蔭によるもの。 石碑の裏側には建立賛助者として協力した佐藤春夫、田山花袋、坪内逍遥、森鷗外、与謝野鉄幹、与謝野晶子など日本を代表する近代文学者の名前が刻まれている。
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