岳陽樓記とは? わかりやすく解説

岳陽楼記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:27 UTC 版)

范仲淹」の記事における「岳陽楼記」の解説

『岳陽樓記』(岳陽楼の記)は、1046年慶暦6年)の作。政治上のつまずきから1044年慶暦4年)に中央から地方巴陵郡の守へ左遷された滕宗諒が、翌年領内にある名勝岳陽楼修復手掛けた際、楼上古今詩賦を刻むこととし同じく左遷され河南鄭州にいた同年進士范仲淹に作らせた文章である。范仲淹岳陽楼も、そこから眺め洞庭湖景色見たことはなかったが、滕宗諒から贈られた「洞庭晩秋図」を見て以前遊んだことのある太湖思い出結び付けて書き上げた冒頭で、滕宗諒の赴任より政道も行き届き人心落ち着いたため、荒れ果てた岳陽楼修復着手したことに触れたのち、岳陽楼から美し洞庭湖を望むとき、荒涼とした冬やうららかな春の景色見て心情揺れ動くだろうが、真に優れた人物は見る物や私情左右され天下憂うことが第一だとし、「天下憂い先んじて憂え天下楽しみに後れて楽しむ(先憂後楽)」と謳い左遷された滕宗諒を慰め励ました。 『古文真宝』に収められ名文として日本にも伝えられ広く知られ、また明治天皇愛読書だった『宋名臣現行録』でも紹介されたことから、伊藤博文明治の元勲はじめ多く読まれた。伊藤は岳陽楼記に登場する言葉気象万千」を揮ごうし、琵琶湖疎水第1トンネル入口扁額とした。また、成島柳北風光明媚な熱海の宿に「気象万千」という扁額与え、宿の名とした。

※この「岳陽楼記」の解説は、「范仲淹」の解説の一部です。
「岳陽楼記」を含む「范仲淹」の記事については、「范仲淹」の概要を参照ください。

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