明治中期以降
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国会開設がなされ自由民権運動が収束する1890年頃には民権小説は形を変え、かつて立憲帝政党を作り政治家でもあった福地桜痴は未来小説の体裁で風刺的な『もしや草子』(1888年)、政界暴露的な『買収政略大策士』(1897年)などを書いた。須藤南翠『雨牕漫筆緑簑談』(1886年)は地方問題について立憲改進党的立場を示している。女権拡張を題材とした作品には、小室案外堂『自由艶舌女文章』(1885年)、南柯亭夢筆『女権美談文明之花』(1987年)、広津柳浪『女子参政蜃中楼』(1887年)などがある。天香外史『涙の谷』(1888年)は、政治制度の狭間で苦境に陥る人々を描いて、柳田泉は「明治小説史上新旧過渡期の際における最も注目すべき小説の一」と論評し、人情世態小説にして政治小説たる作品とされる。 条約改正が日本の大きな課題となり、朝鮮、中国に進出して西洋に対抗しようという意識に基づく国権小説として、須藤南翠『春暁撹眠痴人之夢』(1887年)、大隈重信を描く春屋主人(坪内逍遥)『外務大臣』(1888年)、塚原渋柿『条約改正』(1889年)、末広鉄腸の政治主張そのままにロシアとの対抗を説く『明治四十年の日本』(1903年)などが現れる。 日清戦争以降には、内田魯庵「政治小説を作るべき動機」などの政治小説論が現れ、巌谷小波『蝸牛』(1895年)、内田『鐡道國有』(1900年)などが生まれ、また社会悪を衝く川上眉山『書記官』(1895年)や、社会の底辺を描く広津柳浪『黒蜥蜴』(1895年)など深刻小説、悲惨小説とも呼ばれる社会小説が書かれた。社会主義運動家でもあった堺利彦訳のエミール・ゾラ『労働問題』(1904年)など翻訳ものの他、木下尚江『火の柱』(1904年)などは社会の非人間性を訴え、大正期以降のプロレタリア文学へと繋がっていく。
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明治中期以降
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この項では主に第17代・大江正路の系統(谷村派)に関しているため、特記ない限り谷村派に関して記載する。 (※下村派に関しては「無双神伝英信流」を参照せられたし) 近代に至り、大江正路は、下村派14代、下村茂市より下村派の居合を学んだ後、第16代・五藤正亮に師事し第17代を継承した。しかし、居合術以外の多くの部分(剣術、和術、棒術)を大江が伝えなかったことから、谷村派では無双直伝英信流の多くの部分が失伝したといわれる。ただし、居合術以外の部分は同時代の他師範も学んでいなかったと思われる。一方の下村派においても伝書の存在こそあれど、やはり居合術以外の技は幕末の頃にはすでに失伝している。大江正路は英信流の技を整理して、大森流を「正座之部」、長谷川英信流を「立膝之部」として統合し、現在行われている内容に制定した。大江正路の門人に、森繁樹、穂岐山波雄、政岡壹實、鈴江吉重、中西岩樹、山内豊健、甲田盛夫、山本晴介、福井春政らがいる。
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