いわや‐さざなみ〔いはや‐〕【巌谷小波】
巖谷小波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 16:37 UTC 版)
巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、口演童話家、俳人[1]、ドイツ文学者、ジャーナリスト。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人、楽天居、大江小波等がある[2]。
- ^ 俳人としては、明治29年から秋声会の俳誌『秋の声』に毎号俳句や俳文を寄稿、『俳諧論集』(博文館)の編集者となって明治32年2月『俳諧文庫』第一三編と第一五編を、翌年の6月に第19編を出版。明治34年、白人会というベルリン在主日本人俳句同好会結成、大正2年、俳句雑誌『南柯』の顧問になって毎号に俳句発表、『俳諧注釈集』(博文館)を佐々醒雪と編集、『俳諧叢書』(博文館)の第一編を担当。『名家俳句集』にも携わり、その他にも『僕の旅』(1915)、『俳通俳句便覧』(1916)、『山から海・俳味紀行』(1921)、『俳文学大系』(全12巻、1929)、『俳句表現辞典』(1931)、句集『ささら波』(1932)などの俳句関連著書を残した。また、北海道から沖縄まで、日本列島の全域にわたって、把握されただけで四三基の句碑が残っている。(金成妍『巖谷小波おとぎの世界』求龍堂、2020年、132-134頁)
- ^ 「巌谷小波の紹介 - 明治・大正の文学者たちの書簡と草稿」『関西学院大学図書館』。
- ^ 巖谷小波 編「瘤取り」 『日本お伽噺集』小村雪岱 (画)、ARS、1927年、136-146頁。
- ^ 桃太郎、舌切雀、新羽衣、花咲爺、かちかち山、浦島太郎、一寸法師、養老瀧、猿蟹合戦、瘤取り、金太郎、文福茶釜、うさぎと亀、虎の児、かぐや姫、俵藤太、牛若丸、物臭太郎のお伽噺を描いた俳画が金成妍の『巖谷小波おとぎの世界』(求龍堂、2020年)で紹介されている。
- ^ 奈良本辰也「日本史こぼれ話」(角川書店、1983年)
- ^ 巖谷小波 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2018年7月30日閲覧。
- ^ 巖谷大四「巌谷家の系譜」173-174頁。
- ^ 巖谷大四「巖谷家の系譜」177頁。三浦正雄「巖谷小波の怪異観」47頁。
- ^ おとぎ話のおじさん逝く『東京日日新聞』昭和8年9月6日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p14 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)44頁
- ^ “専門学部の充実”. 同志社女子大学. 2017年10月22日閲覧。
- ^ 水口藩では富森正盈(正因の養曽孫)の代に殺人事件を起こし、冨森正因の子孫は絶えている(『水口藩加藤家文書』甲賀市教育委員会事務局)
- ^ a b 永井荷風が参加していた「木曜会」という句会の詳細や参加者について知りたいレファレンス協同データベース、2012年02月01日
- ^ a b 永井荷風といふ男生田葵山、青空文庫
- ^ 20世紀日本人名事典. “横山 うさぎとは”. コトバンク. 2022年9月5日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “宇野茗翠とは”. コトバンク. 2022年9月5日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, 日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル版. “木村小舟とは”. コトバンク. 2022年9月5日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “内藤鋠策とは”. コトバンク. 2022年9月5日閲覧。
- ^ 20世紀日本人名事典. “大岡 龍男とは”. コトバンク. 2022年9月5日閲覧。
- ^ “沼田笠峰 - 近代文献人名辞典(β)”. lit.kosho.or.jp. 2022年9月29日閲覧。
- ^ 『明治文学全集硯友社文学集』筑摩書房、1969年1月25日、367頁。
- ^ 『明治文化全集川上眉山巖谷小波集』筑摩書房、昭和43-07-25、382頁。
巌谷小波と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 巌谷小波のページへのリンク