明治以前の家号について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 06:38 UTC 版)
大谷姓の由来は、後述する親鸞の廟堂が京都東山知恩院北門の大谷の地に定められたことによる。大谷には「豅」(読みは「ロウ」、意味は「長大な谷」、転じて「おおたに」「ながたに」と訓ずる)の字が充てられたこともあり、後に本願寺は「豅山」(おおたにざん)を山号とした。現在の西本願寺は「豅」の字を分かち、龍谷山本願寺(りゅうこくざんほんがんじ)と号している。龍谷大学の校名の由来でもある。 本願寺は戦国時代には一向一揆の広がりのもとで戦国大名に伍する勢力をもったことから、戦国大名のひとつに数えられることもあるが、法主の法名や諱に本願寺を冠して「本願寺顕如」、「本願寺光佐」とするのは、文書や裏書において「本願寺の法主である〇〇」と明示するための署名に見られる表現によるものであって、本願寺法主(門主)の家系が「本願寺」を家の名字・姓としたこともなく、「本願寺氏」という氏が存在したこともない。彼らは仏弟子の名乗りとして「釈」を姓としていた。なお僧侶の名前に住寺の名称を冠することは、同名の別人と区別するためにも、よく用いられる慣例的表記である(例えば、浄影寺慧遠)。
※この「明治以前の家号について」の解説は、「大谷家」の解説の一部です。
「明治以前の家号について」を含む「大谷家」の記事については、「大谷家」の概要を参照ください。
- 明治以前の家号についてのページへのリンク