明治以後の山田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:47 UTC 版)
明治4年に廃藩置県が行われ薩摩藩の統治区域である薩摩国、大隅国の区域に鹿児島県が設置された。1873年(明治6年)には大区小区制が敷かれ、日置は第十二大区となり、他の田布施、伊作、永吉、吉利と共に伊作の区長事務扱所に属した。 1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、日置郷の区域より日置村が成立し、江戸期の山田村は日置村の大字「山田」となった。1955年(昭和30年)に日置村が吉利村と合併し、日吉町が成立。山田は日吉村の大字となった。 2005年(平成17年)5月1日に日吉町が伊集院町、吹上町、東市来町と合併し日置市が成立した。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定され、旧町名である「日吉町」を従前の大字名である「山田」に冠することとなった。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「 字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「日置」から日置市の大字「日吉町山田」に改称された。
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