明治以後の沿革
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「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,640村・685,804石7斗5升)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。葛飾郡(337村・125,308石余) - 幕府領、関宿藩、古河藩、下野壬生藩、駿河田中藩 猿島郡(82村・45,915石余) - 幕府領、関宿藩、古河藩、下野壬生藩、丹後峰山藩 結城郡(53村・35,007石余) - 幕府領、一橋徳川家領、結城藩、下野壬生藩 豊田郡(80村・38,251石余) - 幕府領、出羽長瀞藩、陸奥仙台藩、常陸牛久藩、下野烏山藩 岡田郡(42村・22,573石余) - 幕府領、常陸牛久藩 千葉郡(136村・44,943石余) - 幕府領、生実藩、佐倉藩、出羽長瀞藩 印旛郡(272村・69,228石余) - 幕府領、佐倉藩、高岡藩、遠江浜松藩、山城淀藩 埴生郡(62村・25,791石余) - 幕府領、田安徳川家領、佐倉藩、出羽長瀞藩、山城淀藩 香取郡(296村・149,119石余) - 幕府領、田安徳川家領、小見川藩、多古藩、高岡藩、佐倉藩、上総飯野藩、安房館山藩、安房船形藩、上野安中藩、三河西端藩、伊勢津藩、山城淀藩 匝瑳郡(68村・37,491石余) - 幕府領、佐倉藩、生実藩、上野安中藩、三河西端藩 海上郡(70村・27,258石余) - 幕府領、佐倉藩、小見川藩、生実藩、上野高崎藩、上野安中藩 相馬郡(142村・64,913石余) - 幕府領、田安徳川家領、関宿藩、高岡藩、上総一宮藩、常陸土浦藩、常陸牛久藩、下野烏山藩、駿河田中藩、山城淀藩 慶応4年6月27日(1868年8月15日) - 結城郡、猿島郡、豊田郡、岡田郡の幕府領・旗本領が常陸知県事の管轄となる。 7月2日(1868年8月19日) - 海上郡、匝瑳郡および香取郡の一部の幕府領・旗本領、廃藩となった安房船形藩領(香取郡のうち)が安房上総知県事の管轄となる。 7月10日(1868年8月27日) - 葛飾郡の一部が武蔵知県事の管轄となる。 7月13日(1868年8月30日) - 駿河田中藩が安房長尾藩に転封され、飛地領の一部(葛飾郡のうち)が武蔵知県事の管轄となる。 8月8日(1868年9月23日) - 相馬郡、千葉郡、印旛郡、埴生郡および葛飾郡、香取郡の一部が下総知県事の管轄となる。旧田中藩飛地領の残部(葛飾郡のうち)も管轄。 明治元年9月23日(1868年11月7日) - 遠江浜松藩が上総鶴舞藩に転封。飛地領(印旛郡のうち)が下総知県事の管轄となる。 領地替えにより武蔵岩槻藩が葛飾郡の一部を管轄。 明治2年1月13日(1869年2月23日) - 下総知県事の管轄区域に葛飾県を、武蔵知県事の管轄区域(葛飾郡のうち)に小菅県をそれぞれ設置。 2月9日(1869年3月21日) - 安房上総知県事の管轄区域に宮谷県を、常陸知県事の管轄区域に若森県をそれぞれ設置。 11月19日(1869年12月21日) - 羽前長瀞藩が上総大網藩に転封。飛地領は存続。 明治4年2月17日(1871年4月6日) - 上総大網藩が常陸龍ヶ崎藩に転封。飛地領は存続。 3月19日(1871年5月8日) - 下野高徳藩が転封により曾我野藩となり、千葉郡の一部を管轄。幕藩体制および府藩県三治制を通じて最後の藩の成立となる。 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が佐倉県、古河県、関宿県、結城県、生実県、曾我野県、多古県、小見川県、高岡県および高崎県、安中県、壬生県、烏山県、土浦県、牛久県、龍ヶ崎県、一宮県、飯野県、館山県、西端県、津県、淀県、峰山県の飛地となる。 10月28日(1871年12月10日) - 第1次府県統合により、高崎県・安中県の飛地が群馬県の管轄となる。 11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、峰山県の飛地が豊岡県の管轄となる。 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、香取郡・匝瑳郡・海上郡が新治県、残部が印旛県に統合。おおむね多古県・小見川県・高岡県および宮谷県の一部が新治県に、佐倉県・古河県・関宿県・結城県・生実県・曾我野県・葛飾県および小菅県の一部が印旛県に統合された。 明治6年(1873年)6月15日 - 印旛県が木更津県と統合して千葉県が発足。 明治8年(1875年)5月7日 - 第2次府県統合により、新治県のうち下総国を千葉県に、常陸国を茨城県に合併。それに伴う千葉県・茨城県の再編に合わせて、千葉県管下の下総国のうち利根川および旧利根川(現中川、権現堂川)以北の区域(のちの西葛飾郡、北相馬郡)が茨城県に、江戸川以西の村(のちの中葛飾郡)が埼玉県に移管。
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明治以後の沿革
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「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り(1,203村・426,666石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。天羽郡(77村・24,461石余) - 幕府領、佐貫藩、上野前橋藩 周淮郡(109村・27,171石余) - 幕府領、飯野藩、請西藩、上野前橋藩、三河西端藩 望陀郡(193村・60,400石余) - 幕府領、久留里藩、請西藩、鶴牧藩、飯野藩、佐貫藩、上野前橋藩、武蔵岩槻藩 市原郡(183村・56,072石余) - 幕府領、鶴牧藩、久留里藩、請西藩、佐貫藩、下総高岡藩、安房館山藩、上野前橋藩、武蔵岩槻藩、三河西大平藩 夷隅郡(169村・69,387石余) - 幕府領、大多喜藩、鶴牧藩、久留里藩、上野吉井藩、武蔵岩槻藩、土佐高知新田藩 上埴生郡(48村・18,617石余) - 幕府領、鶴牧藩、久留里藩 長柄郡(159村・61,958石余) - 幕府領、鶴牧藩、一宮藩、出羽長瀞藩、上野吉井藩、武蔵岩槻藩、下総生実藩、安房館山藩 山辺郡(136村・53,527石余) - 幕府領、鶴牧藩、出羽長瀞藩、陸奥福島藩、武蔵岩槻藩、下総結城藩、下総高岡藩、下総生実藩 武射郡(129村・55,068石余) - 幕府領、飯野藩、出羽長瀞藩、下総結城藩、下総高岡藩、下総生実藩、三河西端藩、土佐高知新田藩 慶応4年請西藩が廃藩。 7月2日(1868年8月19日) - 幕府領と、廃藩や転封により領主不在となった区域に安房上総知県事を設置。 7月13日(1868年8月30日)駿河小島藩が市原郡・望陀郡・周淮郡に転封し、金ヶ崎藩となる。 天羽郡に安房長尾藩が入封。 9月5日(1868年10月20日) - 遠江浜松藩が市原郡・長柄郡・上埴生郡に転封し、鶴舞藩となる。 明治元年9月12日(1868年10月27日) - 駿河沼津藩が市原郡に転封し、菊間藩となる。 9月21日(1868年11月5日)遠江掛川藩が山辺郡・武射郡に転封し、柴山藩となる。 遠江相良藩が周淮郡・天羽郡に転封し、小久保藩となる。 望陀郡・周淮郡・天羽郡に安房花房藩が入封。 望陀郡に三河吉田藩、近江三上藩が入封。 周淮郡に伊勢長島藩が入封。 以上の変更にともない、鶴牧藩、久留里藩、飯野藩、佐貫藩、大多喜藩および前橋藩、岩槻藩、高岡藩、館山藩、西大平藩の飛地領で領地替えが行われる。高岡藩を除く飛地領が消滅。 12月18日(1869年1月30日) - 岩代福島藩が三河重原藩に転封。飛地領が消滅。 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 安房上総知県事が宮谷県となる。 6月19日(1869年7月27日) - 三河吉田藩が三河豊橋藩に改称。飛地領は存続。 11月11日(1869年12月13日) - 羽前長瀞藩が藩庁を移転し、大網藩となる。 12月25日(1870年1月26日) - 上野吉井藩が廃藩。飛地領が消滅。 金ヶ崎藩が桜井藩に改称。 明治3年3月 - 柴山藩庁が武射郡松尾に移転。 4月14日(1870年5月14日) - 近江三上藩が藩庁を移転し、和泉吉見藩となる。飛地領は存続。 土佐高知新田藩が土佐高知藩に編入。飛地領が消滅。 明治4年1月13日(1871年3月3日) - 柴山藩が松尾藩に改称。 2月17日(1871年4月6日) - 大網藩が藩庁を移転し、常陸龍ヶ崎藩となる。飛地領として存続。 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が鶴牧県、菊間県、鶴舞県、久留里県、桜井県、飯野県、小久保県、佐貫県、松尾県、大多喜県および龍ヶ崎県、結城県、高岡県、生実県、花房県、長尾県、豊橋県、西端県、長島県、吉見県の飛地となる。 11月14日(1871年12月25日) - 国内に県庁を置く各県(国外の飛地領を除く)が木更津県に統合。 明治6年(1873年)6月15日 - 木更津県が印旛県に統合して千葉県が発足。
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