明治以後の枡座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/06 16:44 UTC 版)
明治8年(1875年)に度量衡取締条例が施行され、枡の製造は免許制となった。枡座とその出張所は、新器物の発売とともに廃止されることとなった。ただし、枡座の人間を枡の製作人にすることは禁止されなかった。 度量衡を制定するに際し、江戸枡座の主であった樽屋の樽俊之助に対して大蔵省が枡に関する様々な質問をしたことが記録に残っている。明治5年(1872年)3月には大蔵省の諮問に対し枡の弦鉄廃止の意見書を提出したり、大蔵省の依頼で枡の原器製作の見積りをして明治9年(1876年)9月5日付で上申書を提出したりしている。度量衡法の公布前にも、大蔵省は円筒形枡の試作を樽俊之助に見積もらせた。しかし、度量衡法の免許製作者名簿に樽の名は無く、樽屋のその後については不明である。
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