明治以降の「沈壽官家」
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第12代当主の沈壽官(1835年(天保6年) - 1906年(明治39年))は、幕末維新期の激動期を生き、廃藩後、藩の保護を失った薩摩焼の窯が次々と廃業を余儀なくされるなか、民間経営への移行に成功するなど薩摩焼生産の近代化に尽力し、また明治6年(1873年)のウィーン万博以降、数々の万国博覧会や内国勧業博覧会などに出品を重ねて高い評価を受け、海外販路の拡大に大きく貢献した。 第13代沈壽官(1889年(明治22年) - 1964年(昭和39年))は、12代沈壽官の長男で本名は正彦(まさひこ)。1906年の12代の死去に伴い沈家当主とともに「沈壽官」の名を継ぎ、これ以降沈家当主は、現在に至るまで代々「沈壽官」の名を襲名している。彼は鹿児島県における陶磁器産業の振興に努め、戦時期・戦後期を通じた地域経済の復興にも関与する一方で、1920年代以降は文化政治下の植民地朝鮮の陶芸界とも交流を持った。 第14代沈壽官(1926年(大正15年) - 2019年(令和元年))は13代の長男で本名は大迫恵吉(おおさこ けいきち)。早稲田大学卒業。1964年、13代の死去に伴い沈家当主と沈壽官の名を継いだ。司馬遼太郎と親交があり、司馬の小説『故郷忘じがたく候』(1969年刊)の主人公のモデルとなった。1989年に国内初の大韓民国名誉総領事に就任するなど、日韓の文化交流に努めたことでも知られている。2000年、母校早稲田大学より芸術功労賞を受賞。2010年、旭日小綬章を受章。 第15代沈壽官は14代の長男で本名は一輝。1983年に早稲田大学を卒業、1988年にイタリア国立美術陶芸学校を修了。1999年、14代在世中に15代沈壽官を襲名、現在に至る。
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