明治以降の「沈壽官家」とは? わかりやすく解説

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明治以降の「沈壽官家」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 01:30 UTC 版)

沈壽官」の記事における「明治以降の「沈壽官家」」の解説

第12代当主の沈壽官1835年天保6年) - 1906年明治39年))は、幕末維新期激動期生き廃藩後、藩の保護失った薩摩焼の窯が次々と廃業余儀なくされるなか、民間経営への移行成功するなど薩摩焼生産近代化尽力し、また明治6年1873年)のウィーン万博以降数々万国博覧会内国勧業博覧会などに出品重ねて高い評価を受け、海外販路拡大大きく貢献した第13代沈壽官1889年明治22年) - 1964年昭和39年))は、12沈壽官長男本名は正彦(まさひこ)。1906年12代の死去に伴い沈家当主とともに沈壽官」の名を継ぎ、これ以降沈家当主は、現在に至るまで代々沈壽官」の名を襲名している。彼は鹿児島県における陶磁器産業の振興努め戦時期・戦後期通じた地域経済復興にも関与する一方で1920年代以降文化政治下の植民地朝鮮陶芸界とも交流持った第14代沈壽官1926年大正15年) - 2019年令和元年))は13代の長男本名大迫恵吉(おおさこ けいきち)。早稲田大学卒業1964年13代の死去に伴い沈家当主沈壽官の名を継いだ司馬遼太郎親交があり、司馬小説故郷忘じがたく候』(1969年刊)の主人公のモデルとなった1989年国内初の大韓民国名誉総領事就任するなど、日韓文化交流努めたことでも知られている。2000年母校早稲田大学より芸術功労賞受賞2010年旭日小綬章受章第15代沈壽官14代の長男本名一輝1983年早稲田大学卒業1988年イタリア国美術陶芸学校修了1999年14在世中に15沈壽官襲名、現在に至る。

※この「明治以降の「沈壽官家」」の解説は、「沈壽官」の解説の一部です。
「明治以降の「沈壽官家」」を含む「沈壽官」の記事については、「沈壽官」の概要を参照ください。

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