明治以降の京阪大関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:07 UTC 版)
朝日嶽留藏 朝日枩清治郎はじめ大阪の猪名川部屋に入門。しばらくして東京に出て井筒部屋から朝日枩の四股名で取り三段目まで進む。1905年1月大阪に戻り1910年1月に入幕。その場所初日に28連勝中の新横綱大木戸を破る殊勲を上げた。1912年5月関脇で8勝1敗で優勝相当成績を残したが脱走して東京に移った。1914年1月幕内格で大阪に復帰。1916年6月関脇で8勝2休、2度めの優勝相当成績で翌年1月の大関昇進を確実にしたものの年末にトラブルを起こして破門された。番付には「大関朝日枩」の上に「朝日枩清治郎は昨冬除名仕候」と張り紙された。のち破門を許され1917年6月場所5日目から前頭筆頭格で復帰。以後は三役から幕内中軸で取り1922年1月限りで廃業した。 朝日山四郎右エ門(13代) 荒熊谷五郎 嵐山八太夫 一の濱音吉 岩友大太郎 追手風常吉 大木戸一男大坂相撲の湊部屋(師匠は元横綱大木戸森右エ門)から初土俵を踏み、若ノ戸の四股名で新入幕。1913年1月に大関に昇進し、師匠の四股名だった大木戸に改名。その場所優勝し期待されたが、同年5月場所に起きた龍神事件の責任を取り廃業してしまった。 大嶌佐太郎 大鳴門太三郎 加古川辰藏 錦城山勇吉 黒岩重太郎 小染川友治郎 琴の浦熊治郎 釈迦ヶ嶽清一郎 上州山一 陣幕嘉七 陣幕徳太郎 真龍栄太郎 虎林虎吉 猫又三吉 八陣政五郎 放駒長吉 緋縅谷五郎 秀の海幸右エ門 平錦芳次 平野川善右エ門 二瀬川忠太郎 松の音吉松 眞鶴政吉 八尾ヶ関周藏 山響光五郎 若木戸鶴五郎
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