真龍栄太郎とは? わかりやすく解説

真龍栄太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 18:34 UTC 版)

真龍 栄太郎(しんりゅう えいたろう、1894年明治27年) - 没年不詳)は兵庫県明石郡明石町(現・明石市)出身の大相撲力士。本名は内海栄太郎。大阪相撲で活躍し最高位は大関

略歴

12代小野川(元横綱八陣調五郎)に入門。錦洋 栄太郎と名乗って1917年大正6年)6月三段目が初見。1921年(大正10年)6月十両となり錦灘と改名。1922年(大正11年)1月入幕。170cm100kgの体格で上突っ張り押しを得意とした。同年5月初日に新横綱宮城山を一気に押し出し金星を上げた。龍神事件後の1923年(大正12年)6月は0勝2敗で休場したが1924年(大正13年)1月小結、5月関脇真龍と改め9勝1敗で優勝を果たした。1925年(大正14年)1月大関となるも2勝5敗1分2休の不成績に終わり1場所で5月小結に下げられた。1926年(大正15年)1月は関脇で6勝2敗2休の好成績だったが、東西合併のための実力審査の連盟相撲で不成績に終わったことから廃業した。その後郷里に戻ったと伝わるが詳細は不明[1]

幕内9場所 44勝26敗7分13休 優勝1回

参考文献

  • 酒井忠正「日本相撲史」中巻、1964年
  • 「大相撲人物大事典」、2001年 ISBN 9784583036403

脚注

  1. ^ 『大相撲ジャーナル』2024年10・11月合併号 37ページから38ページ

真龍 栄太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 07:25 UTC 版)

「真龍栄太郎」の記事における「真龍 栄太郎」の解説

没年不詳)は兵庫県明石郡明石町(現・明石市出身大相撲力士本名内海栄太郎大阪相撲活躍し最高位大関

※この「真龍 栄太郎」の解説は、「真龍栄太郎」の解説の一部です。
「真龍 栄太郎」を含む「真龍栄太郎」の記事については、「真龍栄太郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「真龍栄太郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「真龍栄太郎」の関連用語

真龍栄太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



真龍栄太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの真龍栄太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの真龍栄太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS