明治以降の前田家とは? わかりやすく解説

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明治以降の前田家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:22 UTC 版)

前田氏」の記事における「明治以降の前田家」の解説

廃藩置県後、旧加賀藩主前田本家には旧来の俸禄に代わって家禄63688石が支給され賞典禄のうち3750石分と合わせて1876年明治9年)の金禄公債の額は1194077円に及び、この額は島津家1322845円)に次ぐ第2位高額だった1884年明治17年7月7日華族令により華族五爵制になると加賀本家侯爵富山家は伯爵大聖寺家と七日市家は子爵叙せられた。また同年7月8日には加賀本家分家前田利武男爵叙せられた。さらに1900年明治33年)には加賀前田家一門家臣だった旧土守家前田直行と旧対馬守家の前田孝が父の維新の功により男爵叙せられた。以上の7家が前田家から出た華族となった前田侯爵家は華族きっての大富豪だった。1898年明治31年時の高額所得者ランキングによれば前田侯爵家の年間所得266442円で3位ランクインされており、旧大名華族の中ではトップだった。大正末から昭和初期実業家たち発展押されて旧大名華族相対的に没落し金満家大番付から旧大名華族の名前が徐々に消えていく時世中でも前田侯爵家は資産運用をうまくやって番付に名前を残し続けた前田侯爵家は本郷東京帝国大学隣接する土地大邸宅を構えていた。その敷地江戸時代には前田家の上屋敷建っていた土地その頃には10万坪あったが、維新後に約9坪を東大提供し前田侯爵家は東大赤門の隣の残り1万坪の土地使用していた。同地二階建て日本館三階建てで地下室もある西洋館建てた1906年明治39年)のイギリス王族コノート公アーサー来日の際にはコノート公招いて盛大なパーティー催した1910年明治43年7月8日には前田侯爵邸に明治天皇行幸があり、盛大な盛儀が行われた。 昭和に入ると本郷土地1万2606坪を目黒区駒場東大農学部土地4坪とそれに隣接する代々木演習林敷地1万1543坪を等価交換している。1929年昭和4年)に前田利為侯爵同地英国風洋館建設。現在は駒場公園になっており、国の重要文化財「旧前田家本邸」として保存されている。芝生テニスコートなどの洋式庭園備えていた。また日本館茶室煎茶亭もあった(戦時中金沢兼六園内の成巽閣移された)。 前田侯爵家の使用人の数は136名を数え、すでに大正時代には自動車を数台所有していた。車を磨くためだけの使用人まであり、ヨーロッパ貴族にも負けない豪勢な生活ぶりだった。 前田利為侯爵は、職業軍人だったが、かねてから東条英機折り合い悪く前田東条は「頭が悪く先が見えない男」と評し東条前田を「世間知らず殿様」と評したという。彼は第二次世界大戦中1942年昭和17年9月5日ボルネオ守備軍司令官務めた際に司令部のあったクチンからミリ飛行中消息を絶った陸海軍合同捜索結果10月17日にビンツル沖の海中飛行機残骸遺骨発見された。墜落目撃した者はなく、エンジン故障説、落雷説、敵機襲撃説など諸説あったが(戦後アメリカ軍人に「ジェネラル・マエダはB26編隊撃墜した」と述べる者があったが真偽不明)、当初は「陣没」(戦地における公務死)にされた。陣没だと相続税を払わねばならないが、戦死だと免除されるため、この違い重要だった。そのため仲が悪い東条前田家巨万の富を狙って故意に「陣没」にしたのではという噂が流れた。この件は議会でも議論され結局死亡後10カ月たった後、河田烈蔵相答弁で「戦死」に変更された[疑問点ノート]。 式部官狩猟官、内大臣秘書官などを歴任していた息子前田利建侯爵位を継承して貴族院議員となり、戦後前田育徳会理事北海殖産株式会社会長などを務めた占領中の1946年昭和21年11月12日GHQ指令制定され財産税により多く華族経済的に没落していったが、前田侯爵家も例にもれず、駒場本邸鎌倉軽井沢金沢にあった別荘北海道牧場山林京都朝鮮所有地などを売却していくことを余儀なくされ、その経済規模急速に小さくなった。前田家は実に財産90%を持っていかれ、使用人数は10分の1激減したという。

※この「明治以降の前田家」の解説は、「前田氏」の解説の一部です。
「明治以降の前田家」を含む「前田氏」の記事については、「前田氏」の概要を参照ください。

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