安房長尾藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 00:41 UTC 版)
新領地の藩庁は、藩士で兵学者の恩田仰岳の選定により、白浜に近い安房国長尾村滝口(現・千葉県南房総市白浜町滝口)に陣屋を建設して置くこととなった。移転先の準備が整うまで正訥や藩士の多くは旧領内藤枝宿の寺院に止宿した。 明治2年(1869年)2月、藩校日知館を安房に移転。明治2年(1869年)6月20日、正訥は版籍奉還を行なって知藩事となる。この年の夏、台風によって建設中の長尾陣屋が倒壊。もともと長尾での陣屋建設は藩内に反対論が多く、恩田仰岳は譴責処分となり、翌明治3年(1870年)1月以降、館山に近い北条村鶴ヶ谷に新たな藩庁(北条陣屋)や藩士居住地の建設が進められた。知藩事正訥は明治3年(1870年)5月に北条陣屋に着任した。 明治3年(1870年)12月14日、隠居して養子正憲に家督を譲った。明治18年(1885年)11月1日、59歳で死去した。
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