醍醐新兵衛
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醍醐 新兵衛(だいご しんべえ)は千葉県の捕鯨家の名跡の1つ。醍醐新兵衛家の当主名。屋号は大井屋。家紋は「丸に橘」。菩提寺は妙典寺。通名は新兵衛どん(しんべえどん)である。
- ^ 「康平5年(1062年)秋佐王親定藤原新兵衛筆」文書
- ^ a b c d e f g “醍醐新兵衛(だいごしんべえ/Shinbe Daigo) - 鋸南町ホームページ”. www.town.kyonan.chiba.jp. 鋸南町. 2022年10月18日閲覧。
- ^ “醍醐新兵衛” (日本語). 館山市経済観光部観光みなと課 (2014年2月26日). 2022年10月18日閲覧。
- ^ a b c d “安房の水産業をさぐる〜明治期・日本水産業の黎明期と安房の人びと 〜醍醐新兵衛・関沢明清・正木清一郎をみる~”. bunka-isan.awa.jp. NPO法人安房文化遺産フォーラム. 2022年10月18日閲覧。
- 1 醍醐新兵衛とは
- 2 醍醐新兵衛の概要
- 3 参考文献
安房醍醐氏
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安房醍醐氏の起源は仁寿の昔(851年頃)までさかのぼる。その興りには諸説あるが、種々の古文書によれば、三十八代まで「佐王藤原姓」とみえ、「弘治2年(1556年)3月没、行年86歳徳仁院殿安房大居士、俗名醍醐新兵衛藤原安房」という記述が見られることから醍醐新兵衛開祖の7代前には安房に移住し、戦国時代の乱世の中で落剥して漁師となったのではないかと云われている。「日本紋章学」には平家物語に醍醐三郎実秀の名が登場する。また、安房国の名族鑑には醍醐氏の記載があり、殊に醍醐新兵衛家は里見氏時代より加知山村に居住し、世々捕鯨に従事し云々とある。
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