安房里見氏の侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:45 UTC 版)
安房国の里見氏は浦賀水道を巡って、北条氏とは長年抗争を続けていた。豊臣秀吉からの参陣の命を受けた里見義康はこれを好機と捉え、庇護していた小弓公方足利義明の遺児頼淳を擁して三浦半島へ渡航上陸し鎌倉へ進軍、鎌倉公方の復活を標榜し独自の禁制を発した。また房総方面では小弓城を奪還したともされている。これら一連の動きは秀吉の不興を大きく買ったが、徳川家康の執り成しがあったため里見氏は赦された。しかし安房一国は安堵されたものの、上総国の所領は没収された。
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