本多正憲とは? わかりやすく解説

本多正憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 05:31 UTC 版)

 
本多正憲
時代 江戸時代末期(幕末) - 昭和時代
生誕 嘉永2年6月11日1849年7月30日[1]
死没 昭和12年(1937年5月3日[1]
墓所 青山霊園
官位 従五位下、子爵
安房長尾藩知藩事
氏族 菅沼氏本多氏
父母 父:菅沼正貞、養父:本多正訥
康子中山忠能の七女)[1]
娘(本多正復正室)
養子:正復
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本多 正憲(ほんだ まさのり)は、明治維新期の安房長尾藩第2代知藩事、のち華族子爵)・貴族院議員。正重系本多家13代。

経歴

嘉永2年(1849年)6月11日に大身旗本・菅沼正貞(駿河田中藩主・本多正意の次男)の長男[1]として生まれる。明治3年(1870年)に叙任し、同年12月23日、叔父で養父の正訥の隠居により[1]、その跡を継いで知藩事となった。明治4年(1871年)7月、廃藩置県で免官され、同年9月に東京へ移る。

明治17年(1884年)の華族令子爵に叙せられる。明治23年(1890年)7月10日、帝国議会開設に伴い貴族院子爵議員に選出され、明治30年(1897年)7月10日まで在任[2]大正15年(1926年)7月に隠居し、婿養子で元肥前平戸藩松浦詮の六男の正復に家督を譲った。昭和12年(1937年)5月に89歳で死去した。

家族

父母

子女

養子

脚注

  1. ^ a b c d e f 平成新修旧華族家系大成』下、p.521
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』54頁。

参考文献

外部リンク


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
田中本多家初代
1884年 - 1926年
次代
本多正復




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