土岐頼潤とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 土岐頼潤の意味・解説 

土岐頼潤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 01:45 UTC 版)

 
土岐頼潤
時代 江戸時代後期
生誕 天明8年5月28日1788年7月1日
死没 文政9年9月22日1826年10月23日
改名 竜五郎(幼名)、阿部正直(初名)、土岐頼潤
別名 兵部(通称
墓所 東京都品川区北品川東海寺春雨庵
官位 従五位下山城守
幕府 江戸幕府奏者番
主君 徳川家斉
上野沼田藩
氏族 阿部氏土岐氏
父母 父:阿部正倫、母:不詳
養父:土岐頼布
兄弟 阿部正精頼潤、定子、松平乗寛正室、稲葉正備正室、島、三浦毗次正室、板倉勝尚正室、土井利謙正室ら
有馬頼貴の娘・
頼寧土岐頼功正室ら
養子:頼功
テンプレートを表示

土岐 頼潤(とき よりみつ)は、上野国沼田藩の第8代藩主。沼田藩土岐家第11代。

生涯

天明8年(1788年)5月28日、備後福山藩主・阿部正倫の五男として江戸で生まれる。文化10年(1813年)3月19日、先代藩主の土岐頼布の養子となる。同年5月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年7月8日、頼布の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・山城守に叙任する。文政6年(1823年)5月29日、奏者番となる。藩政では農村復興や「間引き禁止の触書」などを制定するなど改革を行ったが、効果はなかった。

文政9年(1826年)、39歳で死去し、跡を養嗣子の頼功が継いだ。

系譜

父母

正室

子女

養子




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土岐頼潤」の関連用語

土岐頼潤のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土岐頼潤のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの土岐頼潤 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS