菊間藩とは? わかりやすく解説

菊間藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/20 05:32 UTC 版)

菊間藩(きくまはん)は、明治維新期の短期間存在した。藩庁は上総国市原郡菊間村(現在の千葉県市原市菊間)に置かれ、越後国三河国にも管轄地を有した。1868年、駿河沼津藩5万石の水野家が移封されて成立し、1871年の廃藩置県まで存続した。


注釈

  1. ^ 竹内(2001年)は移動の時期を記していないものの、隠居の水野忠寛(忠敬の先々代藩主。忠敬の養父である水野忠誠の父)ははじめ八幡観音町の称念寺を仮住居とし、のちに菊間の徳永台に移ったと記している[3]
  2. ^ このほか、忠敬は士族授産のために蚕業組合を組織した[5]
  3. ^ 藩庁(陣屋)は未完成であったという記述は複数の書籍に見られる[11][12]。1889年(明治22年)の『上総国町村史』によれば「菊間藩庁址」はすでに畑となっている[13] 。1916年(大正5年)の『千葉県市原郡誌』によれば菊間藩の「公廨」(「廨」は役所の意)について言及があり、稲荷神社の南西側にある数千歩の畑地がその跡地であるとする[14]。公廨の高楼には時鐘も設置されていたとあり[14]、藩庁と知藩事邸(御殿)が混同されている可能性がある。
  4. ^ 『千葉県市原郡誌』によれば、木更津県に移管されたのは「公廨」の建物[14]。竹内(2001年)によれば、菊間には水野家の広壮な旧宅が残っていたといい、忠敬がしばしば菊間を訪れたこと、第二次世界大戦中に水野家の人々が菊間に疎開したことが記されている[15]
  5. ^ 「高柳先生」は、菊間藩儒で藩校教授・小学訓導など教育者として活動した高柳邦(1889年没)である[20]
  6. ^ 『角川日本地名辞典』によれば、明治6年(1873年)時点の藩士の数が644人という[5]
  7. ^ 水野家はかつて信濃国松本藩主であったが、水野忠恒(忠友の従兄)が刃傷事件を起こし、旗本として家名存続が認められた。
  8. ^ 開港地となった新潟周辺の支配関係再編に関連する措置の一環[23]。五泉町は村松藩領となった[22]
  9. ^ 中村[27]、白浜村[28]、戸田村[29]
  10. ^ 『角川日本地名辞典』によれば、菊間小学校は明治7年(1874年)に千光院において開校したとある[5]
  11. ^ 明治8年(1875年)にスコットランド一致長老教会の牧師となった[34]

出典

  1. ^ a b c d e 菊間藩庁跡”. 日本歴史地名大系. 2023年7月13日閲覧。
  2. ^ a b c 竹内克 2001, p. 89.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 竹内克 2001, p. 90.
  4. ^ a b 能満村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  5. ^ a b c d 菊間村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  6. ^ a b 碧南の歴史へのいざない NO.10 大浜陣屋ってどんなもの?”. 市民病院 ハナちゃん通信. 碧南市民病院管理課. 2023年7月16日閲覧。
  7. ^ a b c d 碧南の歴史へのいざない NO.11 大浜騒動って何があったの?”. 市民病院 ハナちゃん通信. 碧南市民病院管理課. 2023年7月16日閲覧。
  8. ^ <特別展> 三河大浜騒動150年~近代化の光と影~”. 西尾市岩瀬文庫. 2023年7月16日閲覧。
  9. ^ a b “仏教弾圧への暴動「大浜騒動」 愛知・西尾で企画展 31日まで”. 朝日新聞. (2022年8月17日). https://digital.asahi.com/articles/ASQ8J6QFMQ82OBJB00N.html 2023年7月16日閲覧。 
  10. ^ a b c d e 竹内克 2001, p. 92.
  11. ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 350.
  12. ^ 。房総における近世陣屋』, p. 3.
  13. ^ a b 『上総国町村史 第一編』, 24/83コマ.
  14. ^ a b c 『千葉県市原郡誌』, p. 860.
  15. ^ a b c d 竹内克 2001, p. 93.
  16. ^ a b 『千葉県市原郡誌』, p. 857.
  17. ^ 上総菊間陣屋”. 城郭放浪記. 2023年7月16日閲覧。
  18. ^ a b 菊間陣屋(市原市菊間)”. 余湖くんのホームページ. 2023年7月16日閲覧。
  19. ^ 上総 菊間陣屋の写真集”. 城郭放浪記. 2023年7月16日閲覧。
  20. ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 862.
  21. ^ a b c d e f g 碧南市大浜陣屋広場”. 碧南市. 2023年7月16日閲覧。
  22. ^ a b 五泉町(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  23. ^ a b 越後佐渡ヒストリア[第97話]新たな藩に仲間入り 菊間藩から村松藩へ”. 新潟県立公文書館. 2023年7月16日閲覧。
  24. ^ 川名登. “菊間藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2023年7月13日閲覧。
  25. ^ 菊間藩”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  26. ^ a b c d e “<再発見!伊豆学講座>伊豆の沼津藩 水野家が幕末まで統治”. 東京新聞. (2021年5月23日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/106036 2023年7月16日閲覧。 
  27. ^ 中村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  28. ^ 白浜村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  29. ^ 戸田村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年7月16日閲覧。
  30. ^ a b c d e f g h 「沼津藩出身明治人物小伝」, p. 2.
  31. ^ a b 竹内克 2001, pp. 92–93.
  32. ^ 『千葉県市原郡誌』, p. 863.
  33. ^ a b c d 「沼津藩出身明治人物小伝」, p. 3.
  34. ^ 「盲教育史に名前を残した五十川中」, p. 3.
  35. ^ a b 「盲教育史に名前を残した五十川中」, p. 2.


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