緒川藩
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緒川藩(おがわはん)は、尾張国知多郡緒川(現在の愛知県知多郡東浦町緒川)を所領として、江戸幕府開府前後の短期間存在した藩[1][2]。戦国期に緒川城を拠点とした水野氏出身の水野分長(徳川家康の従弟)が、1601年に9820石の知行地を認められて成立したが、5年後に三河新城藩に1万石で移されて廃藩となった。「小川藩」[1]・「小河藩」[1]とも表記される。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h “緒川藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年3月25日閲覧。
- ^ a b c 『藩と城下町の事典』, p. 360.
- ^ a b “水野信元”. 朝日日本歴史人物事典. 2023年3月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『寛政重修諸家譜』巻三百三十五「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.873。
- ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻三百三十三「水野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第二輯』p.858。
- ^ “江戸時代、石高一万石以上を大名、一万石未満を旗本と身分分けしていたが、この基準が「一万石」である理由はなにか?”. レファレンス協同データベース. 2023年2月8日閲覧。の回答に引かれた、煎本増夫『江戸幕府と譜代藩』(雄山閣出版、1996年)の叙述
- ^ “緒川村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年3月25日閲覧。
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