菊間駅
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菊間駅 | |
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駅舎(2020年1月)
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きくま Kikuma |
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◄Y44 伊予亀岡 (4.0 km)
(4.7 km) 浅海 Y46►
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所在地 | 愛媛県今治市菊間町浜 |
駅番号 | ○Y45 |
所属事業者 | 四国旅客鉄道(JR四国) |
所属路線 | ■予讃線 |
キロ程 | 165.9 km(高松起点) |
電報略号 | キク |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線[1] |
乗降人員 -統計年度- |
416[2]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1925年(大正14年)6月21日[3] |
備考 | 無人駅[4] |
菊間駅(きくまえき)は、愛媛県今治市菊間町浜にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅である[1]。駅番号はY45。
歴史
かつては一部の急行列車が停車しており、1988(昭和63)年4月ダイヤ改正時点では、下り「うわじま」1号と「いよ」3号が停車していた(上りは全列車通過)[5]。
菊間駅は港が近く、面積1400㎡、貯炭能力3000トンの鉄道用燃料貯炭場が設置された。開通一年前の1924(大正13)年6月には神戸の業者がすでに菊間町と交渉を進め、同年11月末には内定。町では貯炭場となる265坪に対し、坪3円の補償を決定し、港の拡張工事などにも取り組んだ。配炭所には遍照院の裏まで引き込み線を新設し、300坪を充て、15坪の事務所兼宿舎も建築した。石炭は、九州の宮尾より伊予石炭合資会社が購入し、後には松山機関区へ毎月1000~1500トン、西条機関区へは毎月800トンを無蓋貨車にて配給していた[6]。
菊間瓦の海上輸送を担った海運業者が、貯炭場の開設に伴い石炭輸送の大型船に転向、海運業がは飛躍した。鉄道輸送による菊間瓦の販路の拡大も大きく、その後、1935(昭和10)年、鉄道省は西四国と中国を結ぶ連絡航路を計画。その航路として菊間~仁方が内定した。しかし、その後の松山・今治の誘致運動に破れ、戦時体制突入により、この計画は変更され、仁堀連絡船(仁堀航路)として営業を開始した。航路開設後に備え旅館の営業許可を受けた家が多く、現在も町の規模や地理的位置の割には比較的多い[7]。
年表
- 1925(大正14)年6月21日:鉄道省によって開設[3]。
- 1950(昭和25)年3月18日:昭和天皇のお召し列車が5分間停車。駅前奉迎が行われた(昭和天皇の戦後巡幸)[8]。
- 1971(昭和46)年11月8日:貨物取扱廃止[3]。
- 1985(昭和60)年3月14日:荷物扱い廃止[3]。駅員無配置駅となる[9]。
- 1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により、JR四国の駅となる[3]。
- 1988(昭和63)年3月:駅員を再配置し、有人駅となる[10]。
- 1990(平成2)年11月21日:土日祝日の駅員配置を取止め[11]。
- 2010(平成22)年10月1日:再度無人化[4][12]。
駅構造
北側から1番線が上下副本線、2番線が上下本線(今治駅方制限速度85km/h、松山駅方制限速度100km/h)で相対式ホーム2面2線を有する地上駅[1]。2つのホームは跨線橋で結ばれている。1番のりば側に駅舎があり、2番のりば側にも駅南側に通じる階段がある。2番のりばには待合室が備えられている。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1 | ■予讃線 | 上り | 今治・伊予西条・高松方面 | |
下り | 伊予北条・松山・伊予市方面 | 通常はこのホーム | ||
2 | 停車列車同士の行違い時のみ |
- 特急などの通過列車は上下線共原則2番線を通過するが、停車列車は上下線とも駅舎側の1番のりばを優先的に使用する。
-
ホーム(2023年1月)
駅周辺
- 瓦のふるさと公園
- 旧菊間町は四国の瓦の発祥の地。そのアピールのため、1997年に菊間駅のすぐ南の小さな山が「瓦のふるさと公園」として整備された。山の上に出来た時計台には「瓦の町」の文字が刻まれ、夜はライトアップされる。駅からも見える、菊間のシンボルとなっている。
- かわら館(同公園内)
- 「瓦のふるさと公園」の開園と同時に瓦制作を体験出来る「かわら館」がオープンした。駅から徒歩3分。
- 歌仙の滝
- 今治市役所菊間支所
- 国道196号
- 愛媛県道168号菊間停車場線
- 太陽石油四国事業所
- 今治市立菊間小学校
- 今治市立菊間中学校
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今治市役所菊間支所(2025年4月)
隣の駅
脚注
- ^ a b c 『週刊 JR全駅・全車両基地』 53号 松山駅・伊予西条駅・下灘駅ほか83駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年8月25日、23頁。
- ^ “愛媛県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、637頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 「JR四国 29駅を無人化 経費削減、県内は造田など6駅=香川」『読売新聞』読売新聞大阪本社、2010年6月22日、朝刊、33面。
- ^ 『交通公社の時刻表』1988年3月号、PP.252 - 260
- ^ 『愛媛の国鉄回想』松山印刷、平成元年4月1日 エラー: 日付は和暦ではなく西暦を用いてください。(説明)、22,23頁。
- ^ “データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム”. www.i-manabi.jp. 2025年6月28日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、103頁。 ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「通報 ●福知山線石生駅ほか147駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1985年3月12日、15-16面。
- ^ 「JR四国、屋島など12無人駅に63年春から駅員配置」『日本経済新聞』日本経済新聞社、1987年12月11日、地方経済面/四国、12面。
- ^ “JR四国、21駅を無人化、21日から土・日・祝日に限り”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 12. (1990年11月8日)
- ^ “JR四国 駅業務体制の見直しについて”. 四国旅客鉄道 (2010年6月21日). 2010年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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