養蚕・織物産業の振興とは? わかりやすく解説

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養蚕・織物産業の振興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 19:26 UTC 版)

清水宗徳 (政治家)」の記事における「養蚕・織物産業の振興」の解説

明治維新後、明治政府制度改革により1872年名主を含む地方三役廃止されると、宗徳は戸長民事取締役となった。また1870年には、広瀬神社神官にもなっている。 この時期に宗徳が行った事業として、教育事業がある。維新直後から自宅近所の子供集めて教鞭執りさらには1873年には広瀬神社境内に「幼育学校」を創立して、主に神官育成努めた学制発布によって正式に学校制度出来た後も、私財投じて協力惜しまなかった。 また1875年には、現在の本富士見附近上広瀬入間川村(のちの入間川町現在の狭山市中心部)を結ぶ渡船開設し入間川両岸交通の便宜を図った。この渡船は、最終的に本富士見けられた1920年まで46年続いた。 そしてこれらのことを手始めとして、この前後から時代の変化合わせた入間郡西部地域産業振興興味を示すようになり、手広く事業を行うようになって行く。 まず宗徳が眼を向けたのが養蚕であった当時養蚕県内いたるところ行われていたが、農家副業という側面強く、特に入間郡地域のものは当時はほとんど産業として成立し得ない状況であった。 宗徳はこの養蚕産業としてひとかどのものにすることを企図し、早くも1870年村内荒地使い自費与えてまでして桑畑作った。そして1874年には山梨県長野県群馬県養蚕地や製糸場を歴訪。翌1875年養蚕室を建設して実際に養蚕とその研究行い地元住民参考供するとともに見習生を募集して養蚕本格的に地元に根づかせることに奔走した。 さらに1876年には妻・せきと有志の者数名前橋製糸場に派遣して製糸技術実習させたのち、村内河原宿に県内最初機械紡績工場「暢業社」を設立した。この工場当時県令模範工場として絶賛を受け、政府にも紹介されたほどであった実際に業社製品品質高くなかんずく生糸横浜好評得た。 これらと並行して、この地域伝統織物である魚子織ななこおり)にもメスを入れた。魚子織入間郡内では広瀬地区主な産地であったものの、流通経路の関係で中心地川越に名前を奪われて「川越魚子」として売られ、あくまで広瀬裏方であった。 これを嘆いた宗徳は、織り手たちに自分たちの物産であるという意識持たせるために技術鍛錬を行わせ、「広瀬魚子」と呼ばせることから改革始めた。そして1885年には、織り手粗製濫造行って品質を落とすのを防ぎ、さらに改良販路拡大のために魚子織業者組合である「魚子織広瀬組合」を創設した。この組合は後に「武蔵白魚子織本場組合」として拡大し共進会内国勧業博覧会出品行って入間郡魚子織名声全国広め宮内省御用栄誉にあずかることになる。 この後にも、宗徳の養蚕に関する振興事業続いた1881年には、当時まだ国内貿易業者の発達不充分で、ことごとく外国資本会社利益持って行かれていることに対して異を唱え、「同伸社」という生糸貿易会社横浜創業流通面でも改善を行わんとした。 地元では1886年蚕糸業組合結成して組合長就任。その報酬をもって顕微鏡などの研究機材求め研究生募って養蚕欠かせない病害虫研究開始し養蚕家にも病害虫予防法について講義行った。 これを発展させ、1888年には改良・飼育と優良な選出目的として「公業館」を設立した当時この地域他県から仕入れたものであったが、粗製品多くせっかくの養蚕振興阻害していたため、自分たちで一から育ててその弊を取り除こうとしたのであるこのような功績買われ、宗徳は1879年横浜開かれた共進会審査員任じられ1885年内国勧業博覧会でも審査官として選ばれた。また他府県同様の審査会でも審査員として招かれ東奔西走している。 しかし、養蚕魚子織地域産業化近代化には成功したものの、事業の継続には多くの困難が伴った。暢業社工場自体創立資金を県の借入金頼っていたために経営苦しく、さらに風水害建物大破してしまい、1889年売却する憂き目見舞われた。同伸社も銀貨暴落によって閉鎖せざるを得なくなってしまい、失敗に終わる。また武蔵白魚子織本場組合も、その後魚子織を含む伝統織物業界自体急速な不振見舞われ衰退することになる。 なお1889年には板紙工場作って製紙業にも進出していたが、東京大きな製紙工場出来たため撤退やむなくされた。また一時製糸工場水車設けたり牛乳工場小規模ながら経営したことがあった。 この他1886年からは、都市部での砂利需要の増加合わせて入間川砂利採掘事業行っている。とにかくさまざまな事業興味示し手を出した人物であった

※この「養蚕・織物産業の振興」の解説は、「清水宗徳 (政治家)」の解説の一部です。
「養蚕・織物産業の振興」を含む「清水宗徳 (政治家)」の記事については、「清水宗徳 (政治家)」の概要を参照ください。

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