養蚕業に関する年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 22:04 UTC 版)
正保2年(1645年)、このころに養蚕業が起こり、梁川では4のつく日と9のつく日に絹糸や真綿を売買する市が立つようになる。 万治1年(1658年)、信達(信夫郡と伊達郡)の生糸は「登世糸」とよばれ、京に出荷されるようになる。 宝暦7年(1757年)、幕府は蚕糸、蚕種に課役。 明和6年(1769年)、このころから登世糸がさかんになる。 安永2年(1773年)、伊達郡・信夫郡の17村が蚕種冥加金180両を幕府に上納し、奥州蚕種本場の銘(登録商標)を獲得する。 寛政8年(1796年)、田口留兵衛が火蚕法(火力育温暖育)の研究を始める。このころ、伊達郡では蚕種の梁川、蚕糸の掛田、織機の川俣という分業が起きてくる。また、梁川に隣接する白根、山舟生(やまふにゅう)では種紙の生産がさかんになる。 天保9年(1838年)、田口留兵衛が温暖育を完成させる。 弘化4年(1847年)、梁川の中村善右衛門が蚕当計(養蚕用寒暖計)を発明。 嘉永2年(1849年)、中村善右衛門が蚕当計秘訣を刊行。 安政5年(1858年)、梁川の中井閑民が養蚕精義を刊行。 文久1年(1861年)、「福島種(ふくしまだね)」と称する粗悪な偽種が市場に出回るようになり、悪種販売を防止するため、梁川の中村半三郎らが養蚕講を組織して蚕種銘鑑を刊行。
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