養蚕事業での歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/22 13:44 UTC 版)
稲核風穴は養蚕業において、風穴を冷蔵に利用する起源となった。 慶応2年(1866年)輸出したものの、過剰になって日本に返されていた蚕種のうち、稲核風穴に保存しておいたものを、大遅霜で蚕が大被害を受けた際に取り出して飼育してみたところ一定量の繭を得ることができた。これが蚕種冷蔵において、風穴を利用することの本格的な起源となったとされる。明治11年(1937年)には、風穴蚕種の製造が政府に許可され、風穴を利用した年間多回飼育が全国に広がっていった。 しかし、風穴を利用した蚕種貯蔵は大正時代には減少し、昭和10年にはほぼゼロになった。これは大正3年に愛知県の小池弘三が開発した人工孵化技術が広がったためであった。これは、蚕種を塩酸に浸し越年状態に至った蚕種を強制的に孵化する技術である。また、風穴は一般的に交通の不便な山中にあることが多く、明治時代から冷蔵庫の利用が考えられていた。既に明治41年には冷蔵庫で保存した蚕種と、風穴で保存した蚕種に大きな違いが無いことが研究されていた。 冷蔵庫の普及のため風穴は養蚕に利用されなくなった。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの人命や物が失われた。各電力会社では計画停電が実施されたが、そのため貴重な蚕の系統を電力に頼らず冷凍保存する必要があった。そこで、稲核風穴内にこれらの蚕の保存が実施された。
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