養蚕業の開始
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弘化2年(1845年)10月10日上野国緑野郡高山村の豪農高山寅蔵の五男として生まれた。幼名は巳之助。安政4年(1857年)父が多胡郡日野村に隠居すると、その隠宅で家事に従事した。 近隣農家から蚕卵紙を譲り受け、屋根裏で養蚕を試みたところ、良質な繭を得たので、翌年実家に呼び戻され、兄長五郎と養蚕の事業化を試みたが、蚕は一転して白彊病(英語版)(コシャリ病)で全滅してしまった。同じ養育方法を用いながら異なる結果となるのは養育環境が違うせいだと考え、以前の養育環境に倣い、蚕室に空気を取り込むよう家を改造し、常時囲炉裏を炊いた結果、文久元年(1861年)再び良質な繭を得ることに成功した。 兄弥次郎の養家木村弥次右衛門宅で養蚕に従事する中、元治元年(1864年)次女志満子と結婚し、縁家木村勝五郎家の再興を依頼され、慶応3年(1867年)3月神流川岸寄島河原を開拓して新居を構えた。
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