達磨
「達磨」とは、中国禅宗の開祖達磨大師の坐禅姿を模した日本の置物のことを意味する表現である。
「達磨」の基本的な意味
「達磨」は、達磨大師が坐禅をしている姿を模写して作られた起き上がり小法師の形の置物である。多くは顔面以外を赤く塗られた張り子の人形である。達磨は転んでも倒れないため、合格祈願や商売繁盛、家内安全、恋愛成就、無病息災などの願いを叶えてくれる縁起物として広く親しまれている。「達磨さんが転んだ」「雪だるま」といった言葉もあり、「達磨さん」は子どもにとっても身近な存在である。江戸時代に天然痘が流行し、命は助かっても視力低下や失明の後遺症が残る可能性があった。赤いものは邪気を払うと考えられていたため、病気を恐れた人々の間で、達磨は疱瘡よけとして購入されて流行した。
達磨には左目に黒目を書き入れ、願をかけ、願い事が叶ったときに右目に黒目を書き足すという目入れの慣習があるが、この慣習は江戸時代に天然痘が流行したことと関わりがある。天然痘にかかると視力が低下することから目がきれいに描かれている達磨が人気となった。達磨の目がきれいに描かれていないと売れ残ったり、気に入らないと難癖をつけられたりしたようである。そこで、自分で目を描けるように白目の達磨が売り出されるようになったのである。達磨に目を入れることを仏像や仏画に目を入れることになぞらえて開眼という。最初から両目が入っている達磨も売られている。
達磨は購入後一年で効力を失うものとされた。小さいだるまから大きいだるまに買い換える人もいて、達磨はたくさん売れようになった。達磨に名前入れをしてくれることもある。社名や店舗名、苗字や名前をお腹に手書きで入れてもらえる。名前の入った達磨は特別なものとなり、開店祝いや開業祝いに贈ると喜ばれる。
達磨は高崎だるま、松川だるま、甲州だるま、姫だるまなど生産地によって姿形に違いがある。昭和に入ると様々な色の達磨が作られるようになったが、色によって効能に違いがあるとされている。赤は魔除けの意味をもち、病気や災難を防ぐといわれる。白は合格祈願など目標達成の効力があるといわれる。黒は黒字の意味をもち、商売繁盛を願う人に適している。黄色は金運上昇に効果があるといわれている。
「達磨」の発音・読み方
「達磨」は、「だるま」と読む。「達磨」の語源・由来
「達磨」の由来は、中国禅宗の開祖である達磨大師にある。達磨大師は、「壁に向かって座禅を組む壁観(へきかん)という修行を9年間続けたために手足が腐ってしまった」という伝説を持つ人物である。達磨に手足がないのは達磨大師が達磨のモチーフになっているためである。また、基本的に達磨の色が赤いのは、高僧である達磨大師が緋色という黄色味を帯びた赤色の法衣を身につけていたためだといわれている。達磨大師の教えは鎌倉時代に武士の間に広まり、達磨大師の置物は鎌倉時代に作られていた。しかし、起き上がり小法師の形をした達磨が作られるようになったのは江戸時代になってからのことである。室町時代に日本に伝わった起き上がり小法師と何が起きてもひとつのことをやり抜く達磨大師の不撓不屈の精神を重ね合わせて、達磨は現在の形となったのである。
「達磨(ラッパー)」とは
「達磨(ラッパー)」とは、吃音症を持ちながらもラッパーとして活動する人物である。吃音症とは語頭音を繰り返してしまうなど滑らかに話せない病気である。吃音症になると、自己肯定感が下がり、生活全般に影響を及ぼす。達磨は小学校一年生から吃音症になっていたが、ラップを口ずさんでいるときは吃音がでないことに気づいてラッパーとして活動するようになった。「達磨」を含むその他の用語の解説
達磨大師とは
達磨大師は南インドにある高至国の第三王子として生まれた。達磨大師は父親である国王の死後、般若多羅に弟子入りして「菩提達磨」という名をもらい、40年以上厳しい修行に励んだ。師匠の死後、インドで仏教を広めたあと、100歳を超えてまだ禅宗を実践する者がいなかった中国に渡り禅宗を広めた。彗可(えか)という弟子が教えを引き継いだ。達磨大師には、「洛陽郊外の少林寺の洞窟の中で壁に向かって坐禅を組む壁観という修行を9年間続けた結果手足が腐ってしまった」という逸話がある。この逸話からひとつのことを忍耐強くやり遂げる「面壁九年」という言葉が生まれた。
達磨寺とは
奈良県北葛城郡王寺町にある聖徳太子と達磨大師の化身とされる飢人との伝説が残る寺院。聖徳太子と達磨大師を本尊として安置している。境内には古墳が点在しており、達磨大師の墓とされる古墳の上に本堂が建てられている。聖徳太子の愛犬「雪丸」の石像や聖徳太子と達磨大師の問答石などもある。
だるま落としとは
だるま落としとは日本古来のお正月遊びで使われるおもちゃである。数個の積み木を積み重ねて一番上にだるまを置き、だるまが落ちないように下にある積み木を木づちで横から叩いていくゲームである。最後までだるまが残ればその年の災いを避けることができるといわれている。だるま落としのだるまは転んでも起き上がらないため、落とさないように遊ぶのである。禅宗の祖である達磨大師がだるまのモチーフになっている。
ダルマメダカとは
ダルマメダカとは、背骨が短くダルマのようにコロンと丸い体型をしているメダカのことである。泳ぐのが下手であるが、愛らしく人気がある。カラーバリエーションが豊富で、広がったヒレや模様が美しいため、ダルマメダカは観賞魚としても楽しめる。ダルマメダカは、メダカが本来持つ固定率が極めて低い劣性遺伝子によって生まれる。普通のメダカからダルマメダカが生まれる可能性もあるが、確率は低い。ダルマメダカの個体は値段が高い。
達磨山とは
達磨山とは、静岡県沼津市と伊豆市との境にある標高982mの低山である。達磨大師が座禅をしているように見えることから達磨山という名前がつけられた。山頂付近は背の低い笹で覆われているため、眺めがよく富士山や駿河湾などを一望できる。横山大観は好んで達磨山から富士山を描いていたようである。
「達磨」の使い方・例文
達磨はとても縁起のよい置物であり、以下のような例文が挙げられる。・「選挙に当選確実となり、だるまの目が開眼した」
・「高崎だるまは顔につると亀が描かれていて縁起がいいので、福だるまと呼ばれている」
・「姫だるまは女性の形をした可愛いだるまである」
・「だるま落としは微妙な力加減が必要で、集中力が養われる遊びである」
・「お正月に白いだるまを買って受験合格を祈願する」
だるま【達磨】
読み方:だるま
《(梵)Bodhidharmaの音写、菩提(ぼだい)達磨の略》
中国禅宗の始祖。インドのバラモンの出身と伝え、6世紀初め中国に渡り、各地で禅を教えた。嵩山(すうざん)の少林寺で面壁九年の座禅を行ったという。達磨大師。円覚大師。生没年未詳。→達磨忌
1 達磨大師の座禅の姿にまねた張り子の人形。手足がなく、紅衣をまとった僧の形で、底を重くして、倒してもすぐ起き上がるように作る。商売繁盛・開運出世などの縁起物とされ、最初に片目だけ入れておき、願いごとのかなった時、もう一方の目をかきこむ風習がある。
2 丸いもの、赤いものなど1の形に似たものの称。「雪—」「火—」
3 売春婦。寝ては起き寝ては起きするところからいう。「—茶屋」
4 ⇒法
だるま 【達磨】
だるま
see. ボールチップ |
だるま
だるま
だるま
ダルマ
達摩
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・京都府〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・大阪府〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・山口県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・和歌山県〕
- 〓豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・岐阜県〕
- 大豆ヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・岐阜県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・宮城県〕
- 空豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・福島県〕
- 大豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・石川県〕
- 大豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・富山県〕
- 夏豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・島根県〕
- 空豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・岡山県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・岡山県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・徳島県〕
- 大豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・熊本県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・福岡県〕
- 大豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・大分県〕
- 豆類ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・大分県〕
- 豆ノコトヲ云フ。〔第三類 飲食物之部・滋賀県〕
- 豆。〔第六類 器具食物〕
分類 京都府、和歌山県、大分県、大阪府、宮城県、富山県、山口県、岐阜県、岡山県、島根県、徳島県、滋賀県、熊本県、石川県、福岡県、福島県
達摩
達磨
- (一)売淫婦をいふ。東北地方の語。(二)明治以来行はるる西洋式の大伝馬船をいふ。(三)北海道産の豆をいふ。東京の囚徒の語。
- 1 淫売婦をいふ。2 殺人をいふ。盗賊の用ふる隠語。血達磨より来る。
- 金の無いお客のことをいふ。達磨はお足がないからといつたものである。又淫売婦の事をいふ。転ぶからいつたもの。
- 〔隠〕①金のないお客の事。達磨はお足がないをお銭(あし)がないにかけたもの。②淫売婦のこと。淫を売るために転ぶから。
- 羽織、マント、半纏などの類。或は蚕。大豆のことを云ふ。
- 金銭のないこと。お銭を「足」に通はせて云つたもの。或は殺人。「血達磨」の語より。又は密淫売婦のことを云ふ。
- ⑴〔花〕金のないお客のこと、達磨には足がないのをおあし(銭)がないのにかけたもの。⑵淫売婦のこと、よく転ぶの意。
- 金のない客のこと。淫売婦のこともいう。〔花柳界〕
- 殺人、羽織。〔香具師・不良〕
- ①羽織。売淫するいわゆる達磨芸妓は羽織芸妓とも言い転じて単に羽織をいう。〔す〕 ②金のない客。おあし(金)がないから達磨。〔花〕 ③殺人。動かなくなる形容。〔香〕 ④底の丸いアンプル。座りがよいところから形容して。〔覚〕
- ①羽織、マント、半てんなど。②金銭のないことをいう。お銭を足に通わせたもの。
達磨
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・東京府〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・茨城県〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・長野県〕
- 叩織(※「羽織」か)ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・石川県〕
- 羽織ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岡山県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岐阜県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・高知県〕
- 半纏ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・福岡県〕
- 短衣ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・岩手県〕
- 短衣ノコトヲ云フ。〔第四類 衣服之部・福岡県〕
- 羽織のことをいふ。〔役者語〕
- 羽織。〔掏〕
- 羽織を云ふ。
- 羽織。名古屋。
- 羽織。〔芸能(寄席・落語)〕
- 羽織のこと。〔芸能(俳優)〕
- 〔隠語〕羽織。
- 羽織。
分類 俳優、寄席、寄席/落語、岐阜県、岡山県、岩手県、役者、役者語、掏摸、東京府、石川県、福岡県、芸能、茨城県、長野県、高知県
達磨
達磨
達磨
達摩
姓 | 読み方 |
---|---|
達摩 | だるま |
だるま
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 23:41 UTC 版)
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だるま(達磨)は、インドから中国へ仏教を伝えた僧侶・達磨。転じて、達磨の坐禅姿を模した日本の置物。現在では縁起物として広く親しまれている後者について、本項では解説する。
多くは赤色の張子(はりこ)で製作される。達磨が壁に向かって座禅を続けて(面壁九年)手足が腐ってしまったという伝説にちなみ、手足がなく、顔が大きい。白目のまま販売され、祈願のため左目に黒目を書き入れ、成就すると右にも黒目を入れる「目入れだるま」の風習が、江戸で文化年間に始まって以降続いている[1]。
歴史

鎌倉時代に日本に伝わった仏教禅宗では達磨大師という僧侶を重要視し、「祖師」の言葉は達磨を表すこともあるほどである。禅宗寺院では達磨大師を描いた掛け軸や札をいわゆる仏像のような役割で用いることが行われるが、達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説がある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。
だるまの源流は、丸みをつけた底近くに土製の重りを入れて重心を低くすることで、倒そうとしても起き上がる人形「不倒翁」にある。これが室町時代の日本に伝わり「起き上がりこぼし(起き上がり小法師)」が関西をはじめとしてつくられるようになった。今日のような「だるま」が生まれたのは江戸時代で、面壁九年と伝えられる達磨の座禅姿を、倒れても起き上がってくる起き上がり小法師に写し、不撓不屈の思いを込めたと推測されている[1]。
江戸時代に中国から日本の長崎にある黄檗宗寺院に持ち込まれた起き上がり小法師は、インドで僧侶の衣服の色として用いられた黄色であったと伝えられているが、日本ではだるまは赤色を基調とした塗装が一般的である。火や血の色である赤は古来から魔除けの効果があると信じられていた。縄文時代には当時の魔法の器具ともいえる一大発明であった土器を作り出す火や命の糧である動物の血に力を感じていたことは想定できるし、古墳では石室に水銀朱がまかれて貴人の亡骸の腐敗を防ぐ役割を期待された。平安時代には貴人の住居や神社の鳥居も腐食を防ぐ赤である丹で塗られた。お祝い事の席には衣服にしろ食べ物にしろ赤が欠かせぬものであり、様々な病や災いは赤色を持って防げると考えられてきた。江戸時代以降に日本で描かれた達磨大師の絵なども赤い衣で描かれている。縁起物として、紅白となるよう白いだるまを作ることも行われてきた。
昭和以降になると、赤白色以外にも、黄色、緑色、金色等の色を基調とした色とりどりのだるまも製造されるようになった。
だるまの種類
だるまは生産される地域によって形状、彩色、材質などが異なっており、地域名を冠した名称によって区別されることが多い。以下に、有名なだるまの種類を挙げる。
松川だるま
宮城県仙台市とその近郊で制作されているだるま。胴体の前半分が青で後ろが赤、眉毛に毛を使っているのが特徴。また胴体前面の宝船や福の神が立体的に掘られている。材料には地元の柳生和紙を使用している。仙台張子の一種。天保年間に仙台藩士松川豊之進が始めたので「松川だるま」という。独眼だった仙台藩初代藩主伊達政宗に配慮して初めから両目とも描かれた状態で販売される[2]。
高崎だるま

群馬県高崎市で生産されているだるま。「上州だるま」とも呼ばれているが、公式名称ではない(高崎だるまが地域団体商標に登録されている[3])。全国生産の80%に匹敵する年間90万個が生産されている。現代の選挙の際に立候補時に左目玉を墨で入れ、当選後に右目玉を墨で入れる「選挙だるま」のほとんどが高崎で生産されている。冬に乾燥する気候がだるま作りに適しており、農閑期の副業として盛んに行われた。
始まりは、延宝5年(1667年)に東皐心越禅師が開山した禅宗の一派である黄檗宗の少林山達磨寺で、毎年正月に心越禅師の描いた一筆達磨の座禅像を配り札としていたことによる。その後、文化年間に達磨寺の近隣の上豊岡の山県朋五郎が達磨寺九代目住職の東獄和尚に木型を彫ってもらい、和紙を張って作ったのが、高崎だるまの始まりとされている。
球に近い形状の赤色の胴体にくぼんだ白い顔がついており、そこに豪快な髭と眉毛が描かれている。この髭と眉毛は鶴と亀をあらわすという。衣服には金色の縦縞が描かれ、正面中央や顔の左右には文字が記入される。特注でここに祈願内容など独自の文字を入れることもでき、祈願のシンボルや祝儀の贈物として広く利用されている。
福島だるま
福島県福島市で生産されているだるま。江戸時代後期から約百五十年にわたり製作されてきた。やや長身で顔の彫りが深く、眉が鶴、髭が亀を表し、顔の両脇に火防を意味する唐草模様が描かれていて、どことなく華やかさがある。また、にらみつけ悪魔を退治し福を呼ぶという縁起物として、睨みを効かせるために最初から目が入っているのが特徴[4]。
白河だるま
福島県白河市で生産されているだるま。江戸時代中期、白河藩主松平定信が絵師谷文晁に考案させたのが始まりとされる[5]。地元のだるま製造店では、祖先が谷の図案とお墨付を路金とともに戴き、はるばる京へ「だるま」修業の命を受けて出立した。修業のあかつき眉毛は鶴、髭は亀、耳髭は松と梅、あご髭は竹を表して帰郷したと言い伝えられている。また、文政6年(1823年)の横町絵図に、旧奥州街道沿いの横町で現在もだるま製造業を営む渡邊だるま店の住居、作業所がある位置に「瓦作金七」の名が確認されていることから、この人物が白河だるまと大きく関わっている可能性が高いとされている。
白河だるまはあごひげが長いのが特徴。厄除けと家内安全の利益がある赤だるまと、開運の利益がある白だるまが作られている。年間15万個が生産されている。
越谷だるま

埼玉県越谷市で生産されているだるま。「武州だるま」とも呼ばれ、江戸時代の享保年間(1716年〜1736年)に、間久里の「だる吉」という人形師が、従来あった起き上がりこぼしに座禅を組んだ達磨大師を描いたのが始まりといわれている。他に比べて「色白」「鼻高」「福福しい」という特徴があり、川崎大師や柴又帝釈天など関東一円をはじめ、全国に広く出荷され「越谷だるま」の名で知られている。越谷市だるま組合の越谷市の7軒、さいたま市(岩槻区)1軒、春日部市1軒により年間約40万個のだるまが生産されているが、そのほとんどが手作業によるもの。
東京だるま・多摩だるま
明治から始まり生糸や絹の産地である武蔵国の中でも特に多摩地域のだるま市で知られる。埼玉県でも見られるもので、養蚕農家が神棚に供えた物であり、合格祈願などのだるまも作る。
相州だるま
東京・八王子から伝統を受け継いだもので神奈川県平塚市(旧相模国)で生産されているだるま[6]。
甲州だるま
別名「横沢だるま」(旧横沢町でつくられため)ともいわれ、武田信玄公がモチーフで、顔面の彫りが深く、鼻が高いのが特徴。
鈴川だるま
静岡県富士市の岳南地域で生産されているだるま。優しく穏やかな表情が特徴。
姫だるま

愛媛県で作られる、女性の外見をしただるま。近現代になって皇国史観が広まってから神功皇后の置物として作ったもの。
大分県竹田市で作られているものは、姫だるま職人の後藤明子によれば、江戸時代、岡藩の下級武士の妻、綾女(あやじょ)をモデルにしたものとされる[7]。戦前までは「起き上がり様」と呼ばれていた。太平洋戦争にともなう混乱で一時生産が途絶えたが、後藤恒人によって戦後まもなく復興され、1956年、彼の命名によって「姫だるま」と呼ばれるようになった。竹田市では、元日から1月2日にかけて姫だるまが各家に配られるという「投げ込み」という行事が行われ、配られただるまは神棚に飾られた。また、前年に配られただるまは小正月にトンド焼きで燃やされた[7][8]。
女性の外見をしただるまは、新潟県や石川県[9]でも生産されている。
五色願かけだるま
静岡県伊豆市の土肥達磨寺で売られているだるま。目を引いて売りやすくするために仏教というより道教で「空風火水土」をそれぞれ象徴する色「青、黄、赤、白、黒」で五色に塗り分けたもので、時代はそう下らない。日本の各地で養蚕が日本の一大輸出産業として盛んになった明治以降に作られ始めた繭型タイプのだるまの一つで、これの時代はもっと新しい。丸型ではなく、ひょうたんのように下部が大きい。願い事を開運札に書いてだるまに貼り、お祈りする時には、南無達磨娑婆訶(なむだもそわか)と三回唱えるとしている。
豊の姫だるま
大分県大分市宗方地区で販売されているだるま。幸せを呼ぶ鈴を入れた「だるま」鄕土玩具。ピンクを基調とした装飾用の七転八起の可愛い「だるま」で、おきあがりこぼし的な小さな「だるま」。旧大分県速見郡日出町の発展に尽力をした速津媛(『豊後国風土記』)を人形化したもので「招福の喜」「人生の幸」「代々の栄」を祈願している。
三原だるま
広島県三原市のだるま。三原神明市で販売される。「願いが成る」ように鳴物の鈴や小石が入れられ、細長い頭をしており、「名島だるま」と同じく豆絞りの鉢巻を締めている。また、拳大のだるまは「にぎりだるま」と呼ばれる[10][11]。三原市のマスコットキャラクターとして2015年に制定されたやっさだるマンはこれに由来する[12]。
だるま市
だるまを販売する市が、だるま市として毎年各地で開催されている。少林山七草大祭と厄除元三大師大祭に、毘沙門天大祭か白河だるま市を合わせて日本三大だるま市と称される[13][14]。
- 少林山七草大祭(高崎だるま市)
- 高崎市内にある少林山達磨寺で毎年1月6日~7日に開催される。通称「高崎だるま市」。毎年約24万人の人出があった。
- 2016年に寺と群馬県神農街商協同組合、群馬県達磨製造協同組合との調整がつかず、開催形態に変化が生じ、2017年には従来のものに代わる行事として1月1日〜2日に高崎駅西口駅前通りで「高崎だるま市」が開催された[15]。
- 厄除元三大師大祭(深大寺だるま市)
- 縛られ地蔵 結びだるま市
- 東京都葛飾区にある業平山南蔵院 (葛飾区東水元)にて例年12月31日、1月1日に開催されているだるま市。霊験あらたかな、しばられ地蔵の荒縄が巻かれた結びだるまが売られている。
- 毘沙門天大祭
- 静岡県富士市の毘沙門天「今井山妙法寺」で旧正月の7日から9日まで開催される。50万の人出がある。
- 白河だるま市
- 三春だるま市
- 川崎大師だるま市
- 毎年1月3日開催。
- 五日市だるま市
- 青梅だるま市(青梅だるま展)
- 拝島大師達磨市
- 毎年1月2日~3日開催。
- 喜多院だるま市
- 前橋市だるま市
- だるまや縁起物など、600店もの露店が並ぶ「初市まつり」。毎年1月9日開催。
- 麻生不動(木賊不動尊)だるま市
- 鉾持神社十四日市(だるま市)
- 長野県伊那市高遠町で室町時代に養蚕の豊穣を祈って始まった祈念祭が、明治の中頃からだるまを売るようになり、だるま市と呼ばれるようになる。旧暦正月14日に行われていたが、少なくとも1979年以降は2月11日に開催されている。毎年2月11日開催。
- 三原神明市(ダルマ市)
- JR三原駅北側一帯(広島県三原市東町・館町・本町)で、毎年2月第2日曜日を含む3日間開催される。「神明大ダルマ」が飾られ「だるまくじ」もある。神明市は室町時代末期、ダルマ市は江戸時代末期に始まったという[10]。広島県三原市の公式マスコットキャラクターは「やっさだるマン」というやっさ踊りを踊る大だるまで[12]、大森研一監督の映画『やっさだるマン』のタイトルにもなった[19]。
- 星辻神社だるま祭り
だるまから派生したもの

だるま落とし
弾丸の先端に形状が似ただるまの下に、円柱を数段重ね、それを横から1段ずつ木槌で叩いて抜き、倒れないようにうまく一番上のだるまを落とすという玩具・遊びである。胴を素早く叩くのがコツである。
だるまさんがころんだ
こどもの遊びの一種。鬼ごっこの変種と考えられる。鬼がその他の参加者に背中を向けて「だるまさんがころんだ」を唱える間に、他の参加者が鬼に触れ、より遠くへ逃げることを目的とする。鬼が呪文を唱えている時以外は、他の参加者は身動きの一切を禁じられる。
にらめっこ
二人が顔を見合わせ、笑いを我慢する。この時、「だるまさんだるまさん、にらめっこしましょ、笑うと負けよ、あっぷっぷ」とかけ声をかける。『オレたちひょうきん族』にもこのコーナーがあった。
だるま弁当

高崎駅の有名な駅弁にだるま弁当というのがある。高崎市がだるま製造で有名なことを受けて、だるま型の容器に白ご飯を敷き、その上におかずを載せたもの。レギュラー版は「高崎だるま」に似たプラスチック容器を用いているが、古いだるま弁当を再現した「復刻だるま弁当」は瀬戸物の眼光鋭い達磨の表情を描いた容器となっており、全く別の造形である。
勝造
株式会社ココロが開発した玩具。1986年発売。達磨が改名したとの設定で、だるまに手足が備わった姿をしており激励の言葉を発する。[20][21]
だるまに因む言葉
- 火だるま - 焼身の様子。全体が燃え上がること。さらに転じて四方八方から攻撃を受けたり、攻撃に対して対応ができずなすがままの状態のこと。
- 血だるま - 全身血まみれの状態を指す。
- だるま電車 - 京急800形電車の俗称[22]。
形状や容姿など視覚情報からの連想
- 雪だるま - だるまを模した雪像。
- ダルマ(ダルマ蔵相/ダルマ宰相) - 大正・昭和の政治家であった高橋是清の愛称。その体格に因む。
- ダルマストーブ - 薪(石炭)ストーブの1つ。薪(石炭)を入れる中央部分が膨らんでおり、その形状がだるまに似ている事に因む。
- だるま - サントリーのウイスキーの1つ、サントリーオールドの愛称。ボトルの形状に因む。バー等で呼称される。たぬきと呼ばれる事もある。
- ダルマセリカ - そのボディ形状から初代の2ドア車に付けられた愛称。
- だるま女・中国奥地の達者(だるま) - 都市伝説の一つ。
- ダルマウス - だるまにマウス機能を内蔵したマウス、本物の高崎だるまを使用している事に因む。
- だるま型自転車 -オーディナリー型自転車(ペニー・ファージング)の日本での通称。
- ダルマ管 - 真空管の形状の一種である「ST管」の俗称[23]。
だるまを題材とした作品
- 『ダルマよ足を出せ』(水島新司 作、日の丸文庫)[24]
- 『ダルマが歩いた』(水島新司 作、日の丸文庫)[24]
- 『だるまちゃん』の絵本(加古里子 作・絵、福音館書店)[25]
- 『だるまちゃんとてんぐちゃん』(1967年、ISBN 978-4-8340-0124-2)[26]
- 『だるまちゃんとかみなりちゃん』(1968年、ISBN 978-4-8340-0159-4)[27]
- 『だるまちゃんとうさぎちゃん』(1977年、ISBN 978-4-8340-0450-2)[28]
- 『だるまちゃんととらのこちゃん』(1987年、ISBN 978-4-8340-0139-6)[29]
- 『だるまちゃんとだいこくちゃん』(2001年、ISBN 978-4-8340-1730-4)[30]
- 『だるまちゃんとてんじんちゃん』(2006年、ISBN 978-4-8340-2246-9)[31]
- 『だるまちゃんとやまんめちゃん』(2014年、ISBN 978-4-8340-8098-8)[32]
- 『だるまちゃんとにおうちゃん』(2016年、ISBN 978-4-8340-8303-3)[33]
- 『だるまちゃんしんぶん』(2016年、ISBN 9784834083040)[34]
- 『だるまちゃんとはやたちゃん』(2018年、ISBN 978-4-8340-8375-0)[35]
- 『だるまちゃんとキジムナちゃん』(2018年、ISBN 978-4-8340-8374-3)[36]
- 『だるまちゃんとかまどんちゃん』(2018年、ISBN 978-4-8340-8373-6)[37]
- 『ころころ だるまさん』(1972年、荒川薫 作/赤羽末吉 絵、福音館書店)[38][39]
- 『だるまのマーくんとはいたのおばけ』(2005年、小沢正 作/片山健 画、ポプラ社、ISBN 9784591089446)[40]
- 『だるまさん』シリーズ(かがくいひろし 作、ブロンズ新社)[41]
- 『だるまさんが』(2008年、ISBN 9784893094315)[42]
- 『だるまさんの』(2008年、ISBN 9784893094476)[43]
- 『だるまさんと』(2009年、ISBN 9784893094520)[44]
- 『もりのだるまさんかぞく』シリーズ(高橋和枝 作、教育画劇)[45]
- 『もりのだるまさんかぞく』(2012年、ISBN 9784774612621)[46]
- 『だるまさんかぞくうみへいく』(2014年、ISBN 9784774613765)[47]
- 『だるまだ!』(2015年、高畠那生 作、好学社、ISBN 9784769023210)[48]
- 『だるまさん あっぷっぷ!』(2025年、長野ヒデ子 作/つちだのぶこ 画、あすなろ書房、ISBN 9784751531884)[49]
関連文献
- 『達磨からだるま ものしり大辞典』中村浩訳・著、社会評論社刊(2011年7月)、ISBN 978-4-7845-1903-3 C0076
- 『浮世絵のなかの江戸玩具 消えたみみずく、だるまが笑う』藤岡摩里子・著、社会評論社刊(2008年2月刊)、ISBN 978-4-7845-0936-2 C0071
脚注
注釈
出典
- ^ a b 【モノごころヒトがたり】だるま/願い様々 倒れぬ縁起物『日本経済新聞』夕刊2019年2月9日(社会・スポーツ面)2019年4月19日閲覧。
- ^ 藤智仁「松川だるまの民族誌」『東北人類学論壇 4』東北大学大学院文学研究科文化人類学研究室、2005年(平成17年)3月31日、56~57頁。
- ^ “商標登録第5003697号 高崎だるま(たかさきだるま)”. www.jpo.go.jp. 経済産業省特許庁 (2020年9月14日). 2023年1月31日閲覧。
- ^ 福島の伝統的工芸品。
- ^ 福島)白河でだるま市朝日新聞デジタル(2018年2月12日)2019年4月19日閲覧。
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- ^ a b 後藤明子 (2022年1月5日). “眺めてほっこら姫だるま”. 日本経済新聞 2022年1月5日閲覧。
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- ^ 北陸物語ホームページ
- ^ a b 備後路に春を告げる 三原神明市 (三原商工会議所) (2018年10月7日閲覧。)
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- ^ 東京都古書籍商業協同組合『ころころ だるまさん 年少版10 月刊予約絵本「こどものとも」(荒川薫 さく/赤羽末吉 え) / 古本屋ぽらん / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」』 。
- ^ 『ころころ だるまさん』福音館書店、1972。
- ^ 『だるまのマーくんとはいたのおばけ | 小沢正,片山 健 | 絵本ナビ:レビュー・通販』 。
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- ^ 『だるまさん あっぷっぷ! | 長野 ヒデ子,つちだ のぶこ | 絵本ナビ:レビュー・通販』 。
関連項目
- だるま道場 - だるま落としを題材にしたパズルゲーム。
- 全日本だるま研究会 - 1991年より研究誌『だるま』刊行。
- ダルライザー - だるまをモチーフにした白河市のご当地ヒーロー。
- 起き上がり小法師 - 類似の日本の郷土玩具。
- 事件だるま - 前橋観光コンベンション協会から毎年一回警視庁捜査第一課に贈呈されるだるま。
- 『だるまちゃん』 - 加古里子による絵本シリーズ。
外部リンク
- 歴史系総合誌「歴博」第176号 - 国立歴史民俗博物館
- だるまNOW - 閉鎖。(2009年5月31日時点のアーカイブ)
だるま
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「イズナ (ギルティギア)」の記事における「だるま」の解説
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「だるま」の例文・使い方・用例・文例
- 父はそのパーティーに雪だるまの姿をして現れた
- 今年の冬休みに雪だるまを作る予定です。
- 二人の子供がだるま落しをやっている。
- 翌朝雪だるまは跡形もなく消え失せていた。
- 明日雪が降ったら、わたしは雪だるまを作ります。
- 妹は雪だるまの絵を描いた。
- 雪だるまを作ったのは誰か。
- 私は雪だるまや雪の家を作ります。
- もし明日雪がたくさん降れば、雪だるまを作ろう。
- だるまストーブ.
- 車が火だるまになって崖から海に落ちた.
- おおだるまたは樽の
- 全身が真っ赤になるほど血を浴びて,だるまのようになること
- 北海道の雪だるまがブラジルに到着
- それらは,日本人のブラジル移住100周年を祝って北海道安(あ)平(びら)町(ちょう)から空輸された31個の雪だるまだった。
- 高さ約2メートル,重さ約1.3トンの大きな雪だるまが1個あった。
- また,それよりも小さな雪だるまが30個あった。
- およそ8000人が雪だるまを見ようと集まった。
- これらの雪だるまは安平町の早(はや)来(きた)雪だるま郵便局から送られた。
- 郵便局長の真(しん)保(ぼ)生(せい)紀(き)さんは,雪だるまを輸送するために350万円を負担した。
だるまと同じ種類の言葉
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