釈迦の死後とは? わかりやすく解説

釈迦の死後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 07:52 UTC 版)

大般涅槃経 (上座部)」の記事における「釈迦の死後」の解説

クシナーラーのマッラ族たちは、沙羅双樹に赴き、舞踊歌謡音楽花輪香料以て供養した。「今日火葬にするのは不適当だから、明日にしよう」と、引き延ばしている内に、7日経った7日目に、「遺体クシナーラーの南に運び市外運び火葬しよう」とするも、遺体運べない。アヌルッダ長老相談すると、神霊たちが「北からクシナーラー市内運び中央から東門出て、マクダバンダナ(天冠寺)というマッラ族の祠堂運び火葬にする」ことを望んでおり、そうするよう指示される。 マッラ族たちは、遺体運び終わり釈迦遺言通り火葬準備取り掛かるその頃仏弟子マハーカッサパ500人の比丘が、クシナーラー向かっており、クシナーラーからやって来たアージーヴィカ教行者に、釈迦の死を知らされる。 マッラ族たちは、火葬準備終わり、火をつけようとするがつかないアヌルッダ長老相談すると、神霊たちが「マハーカッサパ達が釈迦のみ足を拝むまでは、火をつけさせない」ことを望んでいるので、そうするよう指示されるマハーカッサパ達の礼拝終わり、火がつけられた。遺体からは、灰が出ず遺骨のみが残った500重の布は、最も外側と最も内側だけが焼けた。 マッラ族たちは、遺骨7日間舞踊歌謡音楽花輪香料供養した。 釈迦の死を聞いてマガダ国アジャータサットゥヴェーサーリーのリッチャヴィ族 カピラ城釈迦族 アッラカッパのブリラーマのコーリヤ族 ヴェータディーパのバラモン パーヴァーのマッラ族 クシナーラーのマッラ族 が、遺骨分配主張した。 ドーナ・バラモンが遺骨を8等分し分配し遺骨入っていた瓶を譲り受けた遅れてやって来たピッパリのモーリヤ族は、遺骨の灰だけもらって帰った。 こうして、各地8つストゥーパ卒塔婆)と、瓶のストゥーパ卒塔婆)、灰のストゥーパ卒塔婆)、計10ストゥーパ卒塔婆)が作られた。

※この「釈迦の死後」の解説は、「大般涅槃経 (上座部)」の解説の一部です。
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