仏教における「法」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 08:00 UTC 版)
仏教の時代に入ると「法」は非常に重要な言葉・思想・実践となった。「法」をよりどころとし、「法」を規範としての生活こそ仏教者の生活であるという教法は、仏典に多く記述されている(自灯明)。 それ故に、この世で自らを洲とし、自らを拠り所として、他人を拠り所とせず、法を洲とし、法を拠り所として、他のものを拠り所せずにあれ。 アーナンダよ、あなた方のため私によって示し定めた「法と律」が、私の死後は、あなた方の師である。 釈迦の死後、迦葉が収集して開催された第一結集において、アーナンダを中心として法がまとめられた。 仏教信者にとって法は三宝のひとつとして尊ばれ、法を説いた仏や、法を実践して生活する集団である僧とともに重視される。 上記にも述べたように、「法」の概念は仏教では多岐にわたる。ロシアの仏教学者シチェルバツコイ(露:Щербатской, Фёдор Ипполитович、英: Fyodor Shcherbatskoy)は、「法」の語をほぼ二義にまとめている。 「真理」の意味を中心とする一群。仏教の「教義」「教法」「法則」などの意味がある。 「存在」の意味を中心とする一群。「存在するもの」という意味であり、存在の「性質」「徳性」、さらには「具体的な存在」を構成している実体的要素なども含めて考えられる。
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