仏教における因縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 23:29 UTC 版)
「縁起」、「因果」、および「業」も参照 一切の存在は、因縁によって生じ、因縁によって滅する。因縁によって生滅するという道理を因縁生滅の理といい、因縁によって生じることを因縁生、縁生、縁成、縁起などという。因縁によって生滅する一切の法はそのまま空なる存在であるという道理を因縁即空の理という。パーリ仏典では相応部因縁篇(Nidana-vagga)などで語られる。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される。 初期の仏教では因(hetu)も縁(pratyaya)も、ともに原因を意味する言葉であり、後に区分が生じて因を原因、縁を条件、とみなした[要出典]。 パーリ経典に登場する沙門 (六師外道)(沙門果経より) 沙門 論(思想) プーラナ・カッサパ 道徳否定論者: 善行や悪行をおこなうことで、報酬を得ることも罰が与えられることも否定する。 マッカリ・ゴーサーラ(アージーヴィカ教) 決定論者 (宿命論): 私たちは無力であり、苦しみは前もって定められていたものである。 アジタ・ケーサカンバリン(順世派) 唯物論: 幸福に生きよ、死すればすべて無くなるのだから。 パクダ・カッチャーヤナ 不変論 (永遠論):物質、喜び、痛み、魂は永遠であり、それらに相互作用はない。 マハーヴィーラ(ジャイナ教) 戒律主義: 全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ。 サンジャヤ・ベーラッティプッタ 不可知論: 私はそうは考えない。そうとも、その他の方法も考えない。間違っているのか、間違ってはいないのかも考えない。判断の放棄。 表・話・編・歴 仏教では、修行による成仏を前提としており、 宿作因説 - 因や果を固定したり、創造神の力を因としたり、外在的・宿命的な力を因とする説 無因有果説 - 因なく最初から果があったとする宿命論的な主張 無因縁説 - 原因は有り得ないという説 に対してきびしい批判を行った(六師外道)[要出典]。 龍樹は、『中論』観因縁品で、無自性空の立場からこれらの外部の説と、説一切有部の四縁六因説を批判し、四諦品で因縁によって生じる諸法は空であり、条件が変われば、変化すると説いている[要出典]。
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