プーラナ・カッサパ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 23:32 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchパーリ経典に登場する沙門[1] (六師外道) (沙門果経より[2]) |
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沙門[1] | 論(思想)[2] |
プーラナ・カッサパ | 道徳否定論者: 善行や悪行をおこなうことで、報酬を得ることも罰が与えられることも否定する。 |
マッカリ・ゴーサーラ (アージーヴィカ教) |
決定論者 (宿命論): 私たちは無力であり、苦しみは前もって定められていたものである。 |
アジタ・ケーサカンバリン(順世派) | 唯物論: 幸福に生きよ、死すればすべて無くなるのだから。 |
パクダ・カッチャーヤナ | 不変論 (永遠論):物質、喜び、痛み、魂は永遠であり、それらに相互作用はない。 |
マハーヴィーラ (ジャイナ教) |
戒律主義: 全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ[3]。 |
サンジャヤ・ベーラッティプッタ |
不可知論: 私はそうは考えない。そうとも、その他の方法も考えない。間違っているのか、間違ってはいないのかも考えない。判断の放棄。 |
プーラナ・カッサパ(パーリ語:Pūrana Kassapa、漢訳音写:不蘭那(不蘭)迦葉)は、インドの道徳否定論者で、六師外道の一人。
略歴
迦葉(カッサパ)姓は古代インドのバラモンの姓名で、また母方の姓名で、飲光(おんこう、いんこう)と訳す。不蘭(プーラナ)は彼の実名で、満(まん)と訳す。
奴隷の子として生まれたが、のちに逃亡して裸の行者になったともいう[4]。
南伝Dhammapada Atthakatha III.p.208には、釈迦が舎衛城で神変力を示して、外道をことごとく打ち破ったが、プーラナ・カッサパはその外護者の与えた壷(kuta)と綱(yottam)を取って川に身を投じて自殺したと伝えている。また『有部破僧事』10には、舎利弗と目連が地獄に彼を訪ねたとある。
思想
霊魂の不生不滅を説いて、人間はどんな行為をしても善にも悪にならないとして、因縁や業を否定し無道徳を説いた。自ら行為をなし、他をして行為をなさしめ、手足を切断し、また切断せしめ、罰し罰せしめ、苦しめ苦しましめ、戦慄させ戦慄せしめ、殺し盗み、追剥をなしても悪をおこなったことにはならず、祭祀や慈善を行っても善をなしたことにはならない。また善悪の行為の報いもないという見解(空見、くうけん)を持っていた。仏教ではこれは「邪見」とみなした。
その哲学上の立場をアキリヤヴァーダ akiriyavâda (非業論)と称する。人には永遠の魂があり、たとえ人が死んでも魂がなくなることはない、したがって、行為自体は魂に影響を与えず、どのような行為をとってしまってとしても魂は永久に存在し続けることを、道徳無用論のかたちで主張した。
脚注
関連項目
参考文献
- 山崎元一 「仏教興起時代の思想家たち」『人物世界史4 東洋編(南アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ)』 山川出版社、1995年7月、ISBN 4-634-64330-8
- 辛島昇、前田専学、江島惠教ら監修 『南アジアを知る事典』 平凡社、1992年10月、ISBN 4-582-12634-0
外部リンク
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固有名詞の分類
インドの哲学者 |
世親 ウッダカ・ラーマ・プッタ 月称 プーラナ・カッサパ ラーフラバドラ |
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