パーリ経典に登場する六師とその思想
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プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa 不蘭那(不蘭)迦葉)) - 無道徳論、道徳否定論:殺人や盗み、虚言などの悪行も悪をなしたことにはならず、祭祀、布施、修養、真実を語ること、感官の制御(ヨーガ)、自制などのいかなる善行を積んでも善をなしたことにならず、善悪いずれの報いも存在しないとした。釈迦と同時代人で、奴隷の子であったという。 パクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccayana 迦羅鳩馱迦旃延) - 要素集合説、七要素説:人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合により構成されていると考え、霊魂の独立性を認めない。七要素は作られるものでも他を作るものでもなく、不変不動で、互いに影響はない。よって世の中には、殺すものも殺されるものもなく、聞くものも聞かれるものもなく、知るものも知らしめるものも存在しない。宇宙あるいは人間が多元の要素の集合で構成されているという積集説(アーランバ・ヴァーダ)、唯物論的思考の先駆。 アジタ・ケーサカンバリン(Ajita Kesakambalin 阿耆多翅舎欽婆羅) - 唯物論、感覚論、快楽主義:プーラナ・カッサパのような道徳否定論者の思想には、程度の差はあれ、ウパニシャッドに説かれるアートマンを否定し、霊魂と身体の不可分年子の霊魂の非存在を主張する唯物論的な思考があるが、ケーサカンバリンはそうした唯物論者の代表である。人間は地・水・火・風の四元素から成り、各元素は独立して実在し、死によって人間を構成していた四元素は各元素の集合へと戻り、ゆえに人間は死ぬと空無となり霊魂も何も残らない。来世もなく、善の報いも悪の報いもなく、よって宗教も道徳も不要である。現世の快楽・享楽のみを説く。 このような思想をローカーヤタ(順世派)、チャールヴァーカ(Carvaka、ブリハスパティを祖とする)と呼ぶが、その先駆的な例。 マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala 末迦梨瞿舎利) - アージーヴィカ教(邪命外道と呼ばれた)。運命決定論(宿命論):パクダ・カッチャーヤナの七要素に虚空・得・失・生・死を加え、生きているものはこの一二要素から構成されるとした。得以下の六要素は、それぞれの作用を原理化したものである。一切の生き物は輪廻の生存を続けるが、輪廻から抜け出せないものも、そこから解脱するものも、すべて無因無縁であり、自己の意志による行いは何一つない。一切はあらかじめ決定されており、定められた期間は流転する運命である。八四〇万大劫という計り知れない年月の果てに苦しみの終焉に達するまで、どのような修行をしても解脱することはできない。よって、道徳を否定し、宗教を無用とする考えが含まれる。 サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta 刪闍耶毘羅胝子) - 懐疑論、不可知論:真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする不可知論である。問いに確答せず、つかみどころのない議論を行った。抜け出すことの困難な形而上学的な難問を議論することの意義を問う判断中止(エポケー)の態度表明といえる。 マハーヴィーラ(ニガンタ・ナータプッタ Nigantha Nataputta 尼乾陀若提子、本名ヴァルダマーナ) - ジャイナ教の開祖。相対主義、苦行主義、要素実在説。:サンジャヤの懐疑論が実践の役に立たないことを反省し、知識の問題に関しては相対主義(不定主義)の立場を取り、一方的な判断を排した。宇宙は世界と非世界からなり、世界は霊魂(ジーヴァ)・物質(プドガラ)・運動の条件(ダルマ)・静止の条件(アダルマ)・虚空(アーカーシャ)の五実体または時間(カーラ)を加えた六実体からなるとする。宇宙はこれらの実体から構成され、太古よりあるとして、創造神は想定しない。霊魂は永遠不滅の実体であり、行為の主体として行為の果報を受けるため、家を離れて乞食・苦行の生活を行って業の汚れを離れ、本来の霊魂が持つ上昇性を取り戻し、世界を脱してその頂上にある非世界を目指し、生きながら涅槃に達することを目指す。全ての邪悪を避け、浄化し、祝福せよ。
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