パーリ仏典において
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 04:18 UTC 版)
釈迦は四諦において、苦(Pali, Skt.: dukkha)の起源を渇愛(Pali: taṇhā; Skt.: tṛṣṇā)であると特定した。十二因縁において釈迦は、渇愛は受(vedanā)が引きこし、それは六処を通しての触(phassa)からもたらされると説く。それがゆえ、渇愛と、その結果として生じる苦を克服するには、感覚基盤の抑制と洞察を発達させる必要がある。 六根がその対象に対する執着を断って浄らかな状態になることを六根清浄または六根浄という。 パーリ経典による六六経 処、入 (Āyatana) → 受・ヴェ|ダナ| → 渇愛・タンハ| 六根感覚器官 <–> 六境感覚器官の対象 ↓ ↓ ↓ 触 (パッサ) ↓ ↑ 識 (ヴィンニャーナ) 六根とは、目、耳、鼻、舌、体、心 六境とは、色(ルーパ)、音、匂い、味、触覚、意の知覚対象(法) 名色(ナーマルーパ)は、識(ヴィンニャーナ)により生じる 処(六根と六境と識)は、名色(ナーマルーパ)により生じる 触は、処(六根と六境と識)により生じる 感受(受, ヴェーダナー)は触により生じる 渇愛(タンハー)は感受により生じる Source: MN 148 (Thanissaro, 1998) details
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