永遠と消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 05:49 UTC 版)
パーリ経典に登場する沙門 (六師外道)(沙門果経より) 沙門 論(思想) プーラナ・カッサパ 無道徳論、道徳否定論: 善行も悪行もなく、善悪いずれの報いも存在しない。 マッカリ・ゴーサーラ(アージーヴィカ教) 運命決定論 (宿命論): 自己の意志による行いはなく、一切はあらかじめ決定されており、定められた期間流転する定めである。 アジタ・ケーサカンバリン(順世派) 唯物論、感覚論、快楽主義: 人は四大からなり、死ぬと散じ何も残らない。善悪いずれの行いの報いもないとし、現世の快楽・享楽のみを説く。 パクダ・カッチャーヤナ(常住論者) 要素集合説:人は地・水・火・風の四元素と、苦・楽および命(霊魂)の七つの要素の集合にで構成され、それらは不変不動で相互の影響はない。 マハーヴィーラ(ジャイナ教) 相対主義、苦行主義、要素実在説: 霊魂は永遠不滅の実体であり、乞食・苦行生活で業の汚れを落とし涅槃を目指す。 サンジャヤ・ベーラッティプッタ 不可知論、懐疑論: 真理をあるがままに認識し説明することは不可能であるとする。判断の留保。 表・話・編・歴 輪廻の主体については、ヒンズー教、ジャイナ教、無我を主張する仏教では見解が異なっているが、しかし仏教を含むこれら3つの宗教は共に生まれ変わりを信じており、以前のインド哲学の物質主義派とは違って、道徳的責任をさまざまな方法で強調している。インド哲学での唯物論者(たとえば順世派)は、死が終わりであるとするため終末論者と呼ばれ、死後の世界、魂、再生、カルマなどはなく、死とは生き物が完全に消滅して霧散した状態であるとしていた(断見)。 釈迦は、再生とカルマを否定した唯物論的・断滅論的な見解を批判している。釈迦は、そのような信念は道徳的無責任と物質的快楽主義を奨励しているから、不適切で危険だという。アナッター(無我)とは、死後の世界、再生、カルマの異熟がないことを意味するものではないから、釈迦は断滅論者とは対照的である。しかし、釈迦はまた、それぞれの人間の中には、不滅で永遠の精神的実体(アートマン)が存在するとし、この精神的実体は生物・存在・形而上学的現実の性質の一部であるとする(常見)ことで、道徳的責任を支持する他のインドの宗教とも対照的である。。
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