ろくや‐おん〔‐ヲン〕【鹿野苑/鹿野園】
サールナート
(鹿野苑 から転送)
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サールナート(ヒンディー:सारनाथ,Sārnāth、英語:Sarnath)は、インドのウッタル・プラデーシュ州にある地名[1]。ヴァーラーナシー(ベナレス)の北方約10kmに位置する。仏教の四大聖地のひとつ。
- ^ アンソニー・テイラー『世界の聖地バイブル : パワースポット&スピリチュアルスポットのガイド決定版』ガイアブックス、産調出版、238ページ、2011年、ISBN 978-4-88282-780-1
- ^ 『岩波 仏教辞典 第2版』 岩波書店、2002年、「鹿野苑」の項。
- ^ 植木雅俊 『仏教、本当の教え』 中央公論新社〈中公新書〉、2011年、117-118頁。
- 1 サールナートとは
- 2 サールナートの概要
- 3 名所
鹿野苑
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サールナートは、ヴァーラーナシーの北方約6kmに位置する。釈迦が悟りを開いた後、初めて説法を説いた地とされる初転法輪の地。仏教の四大聖地のひとつ。鹿が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも表される。発掘の結果,アショーカ王(前3世紀中葉)の頃から12世紀までの遺址と多数の彫刻が出土し,ダルマラージカー塔と根本精舎を中心にグプタ時代に最も栄えたことが明らかになった。…現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっている。またこの周辺からは「サールナート仏」と呼ばれる仏像が多数出土し、最高傑作とも評される「初転法輪像」がサールナート考古博物館に収蔵されている。 初転法輪 ゴータマの父であるスッドダーナ(浄飯王)が出家したゴータマの身辺警護のため派遣した五比丘は、修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て軽蔑の念を抱き歓迎を拒むことを決めた。しかし釈迦が徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えた。自らが阿羅漢であり正等覚者(仏陀)であることを宣言した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。このとき説かれた教えは、中道とその実践法たる八正道、苦集滅道の四諦、四諦の完成にいたる三転十二行相、であったとされる。5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。釈迦による五比丘への教導は比丘が3人ずつ順に托鉢を行い6人が食する合宿式に続けられ、ワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの4名にも次々と法眼が生じた。釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五人比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人はじき阿羅漢果(四沙門果の第四)に達して、釈迦を含めて6人の阿羅漢が誕生した。彼らは釈迦と共に初期仏教教団を創設し、インド各地で布教活動を行ったことから、「説法波羅奈」(せっぽうはらな)として釈迦の人生の4つの転機の1つに数えられている。 ダメーク・ストゥーパ(英語版) 釈尊の初転法輪の地に立つ。 ムルガンダ・クティー寺院(初転法輪寺) 野生司香雪が描いた壁画がある。 考古学博物館にアショーカ王の石柱 四頭の獅子像があしらわれている。
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